「ドイツの「親補職」」第7回目です。
プロイセン軍に存在していた組織のひとつとして、軍事内局と言う物があります。
これはプロイセン国王、そして普仏戦争後にはプロイセン国王が皇帝を兼ねる事になった事から、皇帝側近の軍事諮問機関としての役割を有していました。
この機関は最初、軍事省に属していたのが、1857年に軍事内局長官に就任した、エドヴィン・フォン・マントイフェルの頃には軍事省から独立し、さらには、元来軍事省に属していた将校人事権も1883年には軍事内局の権限とされる事となりました。
さて、この組織の役割と言う物を考えれば、長官自身は我が国の感覚で言うのならば親補職の範疇にあればこそ、このように紹介した次第ではありましたが、軍事大臣からして、別段中将以上でなくてはならないと言う決まりがあった訳ではなく、そもそも、元々は軍事省に属していた小規模の組織でしかなかったと言う事から、この役職もまた中将よりも低い階級で務めても構わなかったと言う事でして、マントイフェルからして、大佐の階級で就任して、翌年になって少将に昇進したのでした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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