「ドイツの「親補職」」第8回目です。
古来より、「軍」を称す手段としては、作戦担当地域や司令官の名前を用いる場合が多かった物ですが、それに対して少なくともドイツ史においては、「軍」に序数を用いたのは普墺戦争が初めての物でしょう。プロイセン軍は第1軍、第2軍、エルベ軍と言った3軍仕立ててハプスブルク・ザクセン連合軍相手のいくさに臨みました。
その際、任命された司令官ではありますが、ヴィルヘルム一世としては別段我が子だからと言って1番として優先する発想はなかったと言う事です。第1軍司令官として、単なる甥っ子であるフリードリヒ・カール、第2軍司令官として王太子のフリードリヒ・ヴィルヘルムが任命されていました。
ここで言える事は、「軍」の序数は司令官の年齢で決まっているのではないかと事です。実際、フリードリヒ・カールは1828年生まれであるのに対してフリードリヒ・ヴィルヘルムは1831年生まれでした。
こうした事態は普仏戦争の時にはより顕著となりました。この時は序数を有する「軍」は3つ編成され、上記の2人の司令官に加えて、カール・フォンシュタインメッツが新たに司令官として加わりましたが、彼は第1軍司令官に就任し、フリードリヒ・カール、フリードリヒ・ウィルヘルムはそれぞれ繰り下がる事となりました。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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