「ドイツ元帥物語」第88回目です。
プラウ作戦も最初の思惑通りに進行してくれれば、さらなる元帥の誕生が見込めたのかも知れません。しかし、早くもそうした思惑は破綻してしまって、9月9日には、カフカスで油田攻略を目指していたA軍集団では司令官リストが罷免されて、後任の司令官はヴィニツァの大本営にいたヒトラーが兼ねる事となりました。そして、その月の24日にはより大それた事として、参謀総長のハルダーが罷免されました。
その後も、カフカスでの進撃は行き詰まり、しかも、スターリングラードを中心とするドン川において両サイドでソ連軍が大反撃をして、スタリングラード攻略を担う第6軍が包囲される事態ともなると、さすがのヒトラーにしても、カフカスどころではないと認めたのか、既に大本営はラステンブルクへ戻し、A軍集団司令官には第1装甲軍司令官であったクライストを任命しました。
そして第6軍を救援するために、ドン軍集団が新設され、去る21日には司令官としてマンシュタインが任命されました。その司令部に関しては、第11軍の物が流用される事となって、マンシュタインは指揮下の兵力を北方軍集団へ引き渡して、ドン川へと移動しました。
そして第6軍では、1月1日以来司令官であったフリードリヒ・パウルスが11月30日をもって上級大将に昇進していました。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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