アメリカ海軍の正規空母・ワスプを仕留めた日本海軍「伊19潜水艦」(後編)それまでどれほどの日本人が、ソロモン海を知っていただろうか。そこでは連日、日米の艦隊が死闘を繰り広げていた。そんな激闘の海で、禅僧のような艦長に率いられた伊19潜水艦に、戦いの神の僥倖が舞い降りた。(前編はこちら)
「撃てー!」
その時、伊19潜水艦艦長・木梨鷹一(きなしたかかず)少佐の声は、心なしか震えていたようだった。
1942年9月15日10時50分。ソロモン諸島南東方の散開線で潜航哨戒中だった日本海軍の伊19潜水艦(以下・伊19)は、空母を含む機動部隊という、願ってもない敵と遭遇した。だが潜望鏡でその姿を捉えた当初、敵は1万5000mも離れた場所を、伊19から遠ざかる針路をとっていた。
このままでは、指をくわえて敵が去っていくのを見ているだけになってしまう。伊19の艦内には、何とも言えない焦燥感が漂った。
だが15分後に、1度目の僥倖(ぎょうこう)が起こる。敵が270度方向に変針し、伊19が潜む付近に向かって来たのだ。この状態でも、確実な攻撃は難しい。それでも冷静沈着な木梨艦長は、ここで遠距離雷撃を決意し、魚雷の速度を「中速」に設定する。
いよいよ魚雷発射命令を下そうとした12時13分、敵艦はさらに220度方向に変針するという、奇跡としか言いようのない2度目の僥倖が起こった。木梨が潜望鏡で再度観測すると、敵との位置関係は次の通りであった。
方位角 / 右50度
距離 / 900m
敵速 / 12ノット(時速約22km)
斜進 / 右9度
これは教科書通りの、理想的な射点である。開戦前の研究会で、潮流の影響で本来の待機位置から大きく外れてしまったことが問題視された時、木梨は「海流は諸行無常」と言い放った。実際に魚雷を発射する時、敵に対して絶好のポジションをキープするなど、まさしく「神のみぞ知る」なのであろう。だがこの時は、神の微笑みを一身に受けたのだ。
「撃てー!」
つねに落ち着いてたかぶらない木梨艦長の声が心なしか震えた。その瞬間、艦首魚雷発射管に装填されていた6本の95式酸素魚雷が、獲物を求め勢いよく海中に飛び出した。
一方空母ワスプは、日本艦隊を捜索するために索敵機を14機発進させ、さらに飛行甲板上に16機のF4F戦闘機を並べていた。加えて格納庫内のすべての機体に、燃料給油と兵装準備が進められていた。
その時、ワスプ見張員が叫んだ。
「右舷方向に魚雷接近!」
ワスプ艦長フォレスト・シャーマン大佐は、すぐさま面舵一杯を命じた。だが時すでに遅し。ワスプは艦首右舷水線下に2本、艦橋の前方向の水線上に1本の魚雷を受けた。
被雷したのはいずれも前方だったので、機関部は重大な損傷を受けなかった。浸水も少なかったので「大事には至らないのでは」という思いが、艦橋に広がった。ところが艦首部に命中した2本の魚雷が、格納庫に火災を発生させた。それが給油中だった33機の飛行機に引火し炎上。爆弾の誘爆も呼び、消防のための配管が完全に破壊されてしまう。
被雷から30分ほどで、シャーマン艦長は総員退艦を命じた。その後、火だるまで浮かんでいたワスプは、駆逐艦ランズダウンの魚雷により処分されたのである。
ただ話はそれだけで終わらなかった。「中速」に設定された95式酸素魚雷は、射程が1万1000mを超える。ワスプに命中しなかった3本の魚雷はそのまま海中を走り続け、1万mほど北方に展開していた、空母ホーネットを中心とする別部隊に突進。ワスプが被雷して7分後、1本が駆逐艦オブライエンの右舷艦首に命中。残り2本はオブライエンの艦尾をかすめ、1本が戦艦ノースカロライナの左舷第1主砲塔側面部に命中する。
ノースカロライナは大掛かりな修理が必要となり戦列離脱。オブライエンは本国に帰還途中、竜骨(キール)が折れて沈没した。伊19は1回の雷撃で、空母と駆逐艦を撃沈、戦艦を大破させる大殊勲を挙げたのである。
だがこの戦果を、伊19は自ら確認していない。雷撃の後、8時間に渡り激しい対潜攻撃を受けたからだ。アメリカの駆逐艦が放った爆雷は80発に及んだと記録されている。だが伊19は、見事に戦線離脱に成功した。
幸運なことに、隣接する海域に配備されていた伊15潜水艦(艦長・石川信雄中佐)が、沈没する空母を確認していた。警戒厳重な敵を攻撃し、なおかつ戦果が正確に記録されたという点でも、稀有な例なのだ。同時に、日本の潜水艦や魚雷の優秀さを、敵軍のアメリカに強く印象づけたのであった。
この時期、帝国海軍は酸素魚雷なら世界に関たるスーパー兵器を投入した物の、全体的に大して役に立たなかった事を立証する物となりました。
酸素魚雷は、従来の空気魚雷よりも最大射程を伸ばす事が出来たと言う点で画期的でしたが、所詮は誘導兵器でなかった事から、数弾ちゃなんぼの中でしか効果を発揮できないと言うのが泣き所でして、水上艦艇の場合は、集団で事に臨む事で、そうした事態の解決が可能でしたが、それでも滅多にそうした機会が訪れなかったと言う事で徒花だったと言う事は否めませんでしたが、潜水艦に至っては、そもそも集団でなんて事は、フィクションの「紺碧の艦隊」の中でしかあり得なかった訳でして、実際は単独で事に臨む必要から、結局、従来の空気魚雷同様、至近距離からの攻撃でしか効果を上げられなかったのでした。
さて、現代では潜水艦作戦は万事ソーナーと調音機で周囲を把握すると言う事が当たり前となっており、敵が放った魚雷もそうした手段で発見するのが当然でして、そうなって来ると酸素魚雷の強みのひとつである無航跡と言うのも意味なしでして、当時でも意外と、それで魚雷が迫って来た事を知る事が出来たのではないでしょうか。
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