「ドイツの「親補職」」第9回目です。
武家社会ならばいざ知らず、近代社会においては、よしんば皇帝の息子と言えども、軍隊では少尉からスタートし、一般人だろうとなんだろうと、階級が上であれば、それに従う事を当然視される物ですが、それでも一般人よりも昇進が早く、若かろうが大将まで昇進すれば、軍司令官になれるようになっています。
裏を返せば、同じ階級の元では王族の者は、必然的に年齢で劣る事になるなり、司令官の年齢で軍の序数が決まるのであれば、一般人よりも序列で劣る事になっていました。
実際、普仏戦争で第1軍司令官に就任したシュタインメッツは1796年生まれで、開戦時満73歳でした。
さて、普墺戦争でエルベ軍なる、3個師団からなる小ぶりの軍が存在していましたが、司令官にはエバーハルト・フォン・ビッテンフェルト。シュタインメッツ同様の1796年生まれの将軍が就いていました。彼の軍に対して序数を用いるのであれば、年齢で優っていた事から、第1軍となった事でしょうが、王族の将軍に対して第1、第2と言う序数をあてがった以上は、決してビッテンフェルトに対して第3軍と言う、後の序数をあてがう事はず、番外として、従来並みに固有名詞を以て軍としたのでした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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