「ドイツの「親補職」」第13回目です。
普墺戦争でエルベ軍、第1軍、第2軍司令官を務めた、ビッテンフェルト、フリードリヒ・カール、フリードリヒ・ヴィルヘルムは普墺戦争の前後して、第8軍団、第3軍団、第2軍団長を務めていました。フリードリヒ・ヴィルヘルムに限っては、普墺戦争中、第2軍団長を別の者に代わってもらって第2軍司令官に就いたと言って良く、他の2名に関しては、軍団長在任のままでそれぞれ司令官を務め、自図から率いる軍の中に、その軍団を抱え込んでいた状態にありました。
ともあれ、曲がりなりにも普墺戦争後に限って言えば、3人に共通するのは、もはや軍司令官でない状態で゜軍団長であると言う事でした。そうした状態は普仏戦争開戦時まで続き、その内フリードリヒ・カール、フリードリヒ・ヴィルヘルムはそれぞれ第2軍、第3軍の司令官に就任しました。
この場合、別段軍団長と軍司令官とでは役職の価値に格差があるとは言えず、共に「親補職」として平等だったと言うべきではないでしょうか。我が軍でも、日清戦争後に第1軍司令官を務めた野津道貫が帰還後に就いた最初の役職が近衛師団長だったと言うのと共通している話であります。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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