「諸国大将比較」第3回目です。
日露戦争開戦時の帝国陸軍の大将は7人に増加しました。これは元帥府入りした山縣、大山を含めて、また、開戦までに死亡した者に関しては除外した上での話です。さて、常備の師団の数に関しても、日清戦争時の7個から13個に増大していました。
もちろん師団の数が増えた所で、平時における大将応分の役職が存在しているかどうかとは無関係でして、日清戦争終戦直後の段階では、新たに対象に昇進した野津に関しては最初近衛師団長を務めると言う、変則的な人事が存在した訳ですが、その後、東京防禦総督や東部都督などの役職が新設されて、平時でもある程度大将を抱え込んでおく事が容易になりました。
もっとも、それらの役職は日露戦争開戦までに廃止されてしまって、開戦時に存在していたのは軍事参議官でして、開戦時陸軍大将で軍事参議官に就任していたのは野津道貫、黒木為禎、奥保鞏で、ちょうど彼らは日露戦争で軍司令官に任命されて大陸へ出征するのでした。
ちなみに、日露戦争で第3軍司令官として出征する乃木希典は開戦時中将で、元々休職状態だったのが留守近衛師団長への就任を経て3か月たって第3軍司令官に就任しました。大将への昇進はさらにひと月経った後の6月でした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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