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竹島はわれらが領地なり

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浪人対部屋住み40

「浪人対部屋住み」第40回目です。
江戸時代では、大名、あるいは旗本も、往々にして庶子を部屋住みのままにしないでおくために、領地の一部を分与したり、あるいは幕府が別途領地を与えると言う事が行われていました。そうした領地の石高に関しては、実家の禄高と言う物が反映される傾向が多く、すなわち分家たる物、本家よりも広大な領地を持って良い道理があろうはずがなく、本家からの分与は言うに及ばず、幕府からの新知ですら、本家よりもずっと低いと言う事が当然視されていました。
前回取り上げた浅野家に関しても、その本家に当たる、和歌山から広島へ転封した浅野長晟の庶子たる長治は父から5万石を分与されで、赤穂藩と同程度の大名になれましたが、赤穂藩自身の分家として位置付けられた浅野長広は兄たる長矩からの分与で石高3000石の旗本となりました。
一旦は、兄の起こした事件に連座して、その領地は改易となって、長広自陣は広島藩預かりとなりましたが、後になって幕府から500石を与えられて旗本として復帰しました。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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