日本の「国葬」で送られた朝鮮人がいた…知られざる「朝鮮王公族」安倍元首相の国葬をめぐって世論は二分している。そんな中、かつて日本で亡くなった朝鮮王公族に「国葬」が行われた、というできごとを、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した神戸金史・RKB解説委員が紹介した。さらに、その国葬が引き起こした“事件”から、ある考察を導き出した。
韓国併合で誕生した「王族」「公族」戦前の身分制度には、大名や公家の「華族」がありました。もちろん、「皇族」は今もあります。その他に、「王族」「公族」があったということをご存知でしょうか。
「王族」は、日本に併合された大韓帝国の皇室直系の人たち。皇帝の弟など、傍系の方々を「公族」と呼んだそうです。「王公族」は1910年の韓国併合から戦後の1947年まで存在していました。併合に際して、大韓帝国皇室のために天皇が証書を発して創設した身分でした。これは「朝鮮王公族 帝国日本の準皇族」(新城道彦著・中公新書・2015年)を読んで、初めて知ったんです。
「王族」と言われた大韓帝国皇室の嫡流は、皇帝だった方とお妃さん。それからお父さん(前皇帝)、息子(皇太子)の4人です。傍系の「公族」は、皇帝の弟ご夫婦、前皇帝のお兄さんご夫婦の4人。王公族は当初8人でした。
「朝鮮王公族」への待遇は「皇族」同等敬称は、日本の皇族と同じ「殿下」。それから、終戦直前の1945年8月12日には昭和天皇が皇族を皇居に集めて、ポツダム宣言受諾の意思を告げたという場面がありました。その時に朝鮮王公族も同席しています。宮内省には、皇太子の「東宮職」とか「皇太后職」という職員の組織がありますが、「李王職」というポジションも置かれていました。「李」は朝鮮王族の苗字です。
そして、王族の「李太王」(前皇帝)と「李王」(皇帝)の2人の葬儀は、皇族でもなかなか賜れない「国葬」として執り行われました。王族には「不敬罪」も適用されていました。法的には日本の皇族と同等ではありませんが、礼遇上はあくまでも日本の皇族と同じように扱っていました。朝鮮のナショナリズムもありますから、大切にしなければいけなかった状況があったんだろうと思います。
そしてもう一つ。皇太子にあたる李垠(り・ぎん、イ・ウン)さんのお嫁さんには、日本の皇族の梨本宮から方子(まさこ)女王が嫁いでいます。お母さんは旧佐賀藩主の娘、鍋島伊都子さんです。佐賀藩主の娘さんが梨本宮にお嫁に行って生まれた方子さんが、嫁に行ったのが朝鮮王族の皇太子。つまり、皇族がお嫁に行くほどの立場になっていたと考えていいんだろうと思います。
当時でも政略結婚と言われていましたが、近年の研究では梨本宮も望んだと言われています。理由は、「準皇族だから」。そういう階級の家だと、この本を読んで初めてちゃんと整理できた感じです。
日本の戦国時代でならば、いくさで打ち破った敵の大名家は皆殺しなんて事は良くあった物ですが、これはれっきとした国際条約に基づいての行為だし、むしろ朝鮮の側の方で望んで併合してもらったと言う話ですからね。
その結果、李王室もおおむね宮様待遇で、強いて言えば天皇や摂政にはなれないと言う程度で、それは紛れもなく天皇からの血統が大きく乖離していればこその必然でして、単純に差別とか言う話ではありません。まあ、彼ら韓国人からすれば、そんな物の道理もお構いなしに、差別を叫ぶでしょうがね。
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