fc2ブログ

プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

想定外の戦いを経て沈没した「比叡」

国産初の超ド級 戦艦「比叡」の進水日 旧海軍の黎明期 金剛型2番艦 -1912.11.21


大正期の巨大戦艦建造のパイオニア

 今から110年前の1912(大正元)年11月21日。旧日本海軍の戦艦「比叡」が進水を迎えました。

 旧海軍の歴史で、「比叡」は重要な意味を持ちます。日本が自らの手で作り上げた次世代の巨大戦艦、いわゆる「超ド級戦艦」であるのです。

「超ド級戦艦」の「ド」は、当時イギリスで登場し世界中を震撼させた巨大艦「ドレッドノート」のことです。砲力・速力ともにそれまでの規模を塗り替え、戦艦の”大開発時代”を到来させた存在でした。

 日本も同様にドレッドノートに匹敵する戦艦を建造し始めます。最初はイギリスのヴィッカース社が建造に携わり、「金剛」を進水させます。この「金剛」から技術を参考にし、ヴ社からの技術協力も受けたうえで、日本の手で作り上げた”金剛型2番艦”が、「比叡」でした。

 第一次世界大戦が終結すると、ワシントン・ロンドンと相次いで軍縮条約が発効。艦船所持枠の関係で、「比叡」は「練習艦」となることが決定しました。具体的には魚雷や航空機発着機能の撤去、砲数の削減などが行われたのです。とはいえ実際は、「皇族を乗せる船」としての利用が多く、結果的に新聞やラジオへの露出で、国民に最も知られた戦艦のひとつと言えるかもしれません。

 1936年にロンドン軍縮条約が期限切れとなると、「比叡」はここではじめて「戦艦」としての改装がなされました。この改装で培われた技術はのちの「大和型戦艦」へも引き継がれます。

 太平洋戦争が勃発すると真珠湾攻撃やミッドウェー作戦にも参加。1942年のソロモン海戦でアメリカ軍の爆撃や魚雷攻撃を受け、沈没を遂げました。ながらくその姿は不明のままでしたが、2019年にアメリカの調査チームが、深さ約1000mの海底に沈んでいるのを発見。約70年の月日を経て、数奇な運命となった戦艦はふたたび人目に触れることとなったのです。 


※一部修正しました(11月22日11時20分)。



かなり古い話ですが、サンケイ出版の第二次世界大戦ブックスでは、「ソロモン海戦」と言う本を出版していました。それは全体的にはガダルカナル島の戦いの中での帝国海軍の諸海戦を総括した物でしたが、その中でも高速戦艦たる「比叡」、「霧島」が参加した第三次ソロモン海戦を中心として取り上げていました。
本来、それらの戦艦は36センチ砲を搭載して、昼間でならば20キロ以上物遠距離の相手を砲撃する事が求められていたはずなのに、「比叡」は、かくも至近距離に駆逐艦が迫って来て、5インチ砲や対空機銃をぶち込まれると言う、想定外の戦いを体験する事となりました。
駆逐艦が相手ならば、魚雷を撃たれると言うのならばいざ知らず、その程度の攻撃では沈没には程遠いはずでしたが、艦橋を攻撃された事で、艦の各所へ命令を伝達するための通信回線が寸断されてしまいました。
挙句の果ては周知の通り沈没の憂き目を見るのですが、最後に筆者の後書きとして、今どき(まだ昭和でしたが)の艦艇だったら、艦のそばを強力な磁力を発する物体がやって来るだけでも無力化するだろう。そうした時の教訓として「比叡」の戦いが研究されるだろう。そんな事が書かれていました。


クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム



韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 

人気サイトランキングへ


スポンサーサイト



<< 中国で暮らした方が良くはなかったかと詮索する視点が欠けているのが残念だ | ホーム | 姓の元の意味155 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP