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「語り継ぐ戦争」より

( ゚∀゚)ノィョ―ゥ 寒いながらも、今日も関東地方は晴天でございます。みなさんのご機嫌はいかがでしょうか。では、早速ながら本題いきますよー。( ゚∀゚)

以下は投書「語り継ぐ戦争」からの引用です。
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捕虜英国兵は「虐待」訴えた
「村人が捕虜の 引き渡し迫る」(10月22日投稿)、「捕虜の白人兵 私も見ていた」(11月19日投稿)という2つの投稿を読みました。この一件で当時、私が勤務していた原町憲兵分隊の中が騒がしくなったのをおもいだしました。
45年8月10日、郡山空襲で被弾した英軍機は阿武隈山地方面に離脱し、帰還途中に墜落。英国兵2人は2日間、逃避し福島県川内村の山中で捕まった。投稿によれば、古平中尉が「殺すから渡せ」と叫ぶ村民の要求に応ぜず憲兵隊に身柄を引き渡した。
旧原町分隊員らが発刊した「憶い出集」などに寄れば、捕虜はスペンサー少尉とジョージ軍曹。体は大きく、ズック靴だった。通訳を介して調書を作成し、食事は隊員のを分け与えた。軍法会議にかけるから早く連れてこいという仙台憲兵隊の催促で、すぐに原町の班長らが仙台憲兵隊本部に移送したとのこと。
終戦で立場は一変。英国兵は「捕虜取り扱い条項に違反して虐待された」と事実と異なることを占領軍に訴えたという。原町の班長は審問を受けたが、事なきに過ぎたのである。(引用ここまで。12月17日分)
映画「パリは燃えているか」では終わりのころ、パリ占領軍司令官が降伏して、連行される場面がありました。占領軍司令部として使用されていたホテルの外には怒りに満ちた市民が待ち構えていて、袋叩きしかねない状況にありましたが、司令官を捕らえているのは同じフランス人でも、正規軍に属していたために、ドイツ憎しよりも、まずは秩序優先で動いたために、そうしたパリ市民から司令官を守って連行していきました。
勝者が敗者に対して、往々にして一方的な虐意を抱くのは良くあることというべきか、いったんいくさが終わってみれば、今度はイギリス兵のほうで捕虜虐待を訴えるくだりは、自身が普段裕福な生活を送っていたからということも関係していたのでしょうか。何しろ、当時の日本は著しい食糧不足の状態にあって、「ハダシのゲン」を見ても、常に食糧確保は重大ごととされていたわけで、虐意がなくても捕虜に与える食糧に事欠く有様だったのにもかかわらず、そうしたことを配慮せずに、自身に対しては条約を強調して、充分な食糧を与えるべし。それを行わないのは、捕虜虐待だと、彼らは勝手に決め付けたにほかなりません。3年前にあった「バターン、死の行進」もこの類ですよ。(# ゚Д゚)
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「疎開者は」と殴った鬼教師
45年3月17日の未明、米軍の空襲で神戸の空は赤く染まり、逃げ場を失った多数の市民が焼死した。私たち一家は命からがら和歌山に疎開した。
中学3年生だった私は、転向手続きのため弟と地元の中学校を訪れた。早速、学徒動員先の工場を指示された。職員室を出るとき、大柄で目つきの鋭い教師が、私たちに「ちょっとこい」といった。連れて行かれたところは重々しく施錠された奉安殿の前で、砂利敷きの上に正座させられた。
鬼の形相になった教師は「疎開者はお国に命をささげる覚悟ができていない。天皇陛下の前で精神をたたきなおしてやる」と叫び、鉄拳の雨を浴びせ、何回も額を砂利にめり込ませた。うずくまっている2人の耳を思い切り引っ張って立ち上がらせ、縦横に振り回した。戦後、この教師はたちまち変身して校長になり、平和と民主主義を説いた。(引用ここまで。12月18日分)
この鬼教師からすれば、疎開者は、危険なところから逃げてきた臆病者、卑怯者という感覚だったのでしょう。しかしまあ、戦後の態度を見てみると、まったく空々しい。説得力がないという感が否めません。「ハダシのゲン」の原作本を思いだしてしまいました。
そこでは、主人公の父が反戦平和を主張していたために(もちろん今ではなく、戦時中に)、周囲から非国民呼ばわりされ、特に町内会長がそうしたことを率先して行っていました。
当然、そうした非難は中岡家全体に降りかかり、ゲンの姉である英子のクラスで盗みがあると、真っ先に英子に疑いがかかって、服を脱がせて取調べを行うという辱めが行われました。
ゲンの父のそうした態度が、当時として正しいものかどうかは別として、周囲のそうした仕打ちに対して、中岡家のほうで反感を持ったとしても仕方がないことでしょう。
したがって、8月6日、町内会長が柱の下敷きになっているのを見ても、ゲンがそれを助ける義理はないのにもかかわらず、ゲンは町内会長を助けてやりました。ゲンのほうでも、自分の家族が窮地にあって、他人の手を借りたい状態にあったのですが、町内会長は、そうしたゲンの恩義に対して報いることなく、わが身大事で逃げてしまいました。果たして、ゲンの家族は母だけが助かって、父と姉と弟が下敷き状態のまま死んでしまいました。
その後、こともあろうか、かの町内会長が、「わたしははじめから反戦平和であった」と主張して、代議士に立候補したのでした。
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