「非陸軍地上部隊の悲喜劇」第26回目です。
対ソ戦争なる、より大規模ないくさを準備している以上、国防軍としては親衛隊に対してなるべく兵力の供給をしたくないと言うのが自然な発想でして、そのために親衛隊ではドイツ系外国人やドイツ以外のゲルマン民族からの隊員募集が欠かせなくなりました。
もっとも、それらは戦前からも受け入れていたのですが、その数はたかが知れており、本格的になったのはそうした供給源がドイツ占領下か、ドイツ同盟国になってからと言う傾向があります。
また、1943年になると、ヒトラーユーゲントからの隊員募集によって「ヒトラーユーゲント」師団が編成されました。
これはある意味画期的な事とも言えるのですが、元々国防軍でも志願者は18歳未満でも受け入れており、戦前から親衛隊でも、国防法との兼ね合いからこれを利用して隊員募集を行っていたのに過ぎません。
しかも、ヒトラーユーゲントは1939年以降義務化されており、当然、その後には国防軍の兵役が待っているとなれば、国防軍側でも青田買いを狙って教官を送り込んで、志願者の囲い込みと言う物を行っていました。
よって、「ヒトラーユーゲント」師団と言っても、所詮は編成時の特徴を示した物に過ぎず、一旦武装SSの一部として編成されてしまえば、その後の人事管理も補充も特別な物となる事はあり得ず、この後ヒトラーユーゲントとは無関係に補充兵が送り込まれるようになりました。
そもそも彼らは単に年が少ないと言うだけで、れっきとしたドイツ国民であるのだから、外国人義勇兵のような配置先に制約がかかる気遣いはないのです。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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