「褒める事と褒められる事」第7回目です。
改めて、始めから褒められようと思っていても、褒める側にとって、自分にとって得になる事をしてくれなくては、なかなか褒めてくれません。要するにそう言う機会はめったに訪れてはくれないと言う事です。だからこそ、小池氏は、始めからそんな事を意識するなと言っている訳です。
まあ改めてここで書く事はこれまでさんざん書いてきた「利益認識の乖離」と重複する事であります。
報労の部分を褒めるに置き換えればその通りなのです。会社ではあらかじめ褒める基準を定めておいて、社員に対して、そのようになるよう求める。
それを求められる社員にしてみれば、頻繁にそう言う事を強いられる一方で、実際褒められる側に含まれる事はめったにある物ではありません。
それに引き換え会社の方は、さんざん他人に苦労させておきながら、毎度毎度誰かしら褒める人間が出て来る物だから、却って褒める機会がないといらだつ事がないだけ幸せでしょう。
しかしその一方で、余計な苦労をさせられながら、褒められる事がない事で、却って不満の種を持たされた人間が多数いる事を忘れてはなりません。こんな事なら、始めから褒められる機会など用意しないでくれていた方が良かったと思う人間は多数いるのです。
それを思えば、大々的に褒められるまでに至らない程度の仕事しかできない多数の人間に対しては、やたらと褒める機会を押し付けないで、そう言う機会から回避、解放させてくれる事も考えるべきです。
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