「利益認識の乖離」第75回目です。
わが国の場合、超過勤務を露骨にさせておきながら、肝心の手当てに関して、その支払いをばっくれると言うケースが少なくないようですから、そうした発想と言うか、会社自身の負担を軽くしようと言う本音のために、妙なきれいごとをほざくケースが少なくない事が「脱社畜ブログ」でも指摘されていた通りでございます。
そうした本音に基づけは、社員に対して、金銭的でないインセブティブの押し付けと言う事も十分あり得ると言う事でしょう。
いずれにしろ、そうしたインセブティブと言う概念も、所詮は他人の利己欲に依存する物でしかないはずなのに、どうも我が国の場合は、全員に押し付けるか、全く用意する気がないかと言う両極端な傾向が多いです。
会社にしてみれば、自ら社員に課す仕事を利するために、あくまで道具としてそうした物が利用されるべきだと言うはずなのに、あたかもそれを「与える」事がある種の目的と化しているケースが少なくないと思います。
改めて、何のための報労、何のためのインセブティブなのかと言う事が詮索されるべきだと思うのですよ。
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