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竹島はわれらが領地なり

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集団的軍事行動⑪

「集団的軍事行動」第11回目です。
話は戦国時代に戻りまして、今川義元敗死によって地瓔珞の途をたどった今川家の領地切り取りが徳川家康と武田信玄によって推し進められました。
最初はそのために話が合い、少なくとも徳川家康の解釈としては大井川を境に、駿河は武田信玄が、遠江は家康自身が取ると言う風にみなしていたのですが、信玄の方はどちらかと言うと、切り取り勝手次第と見なしており、あまつさえ、川切りは天竜川だと強硬な態度に出るほどでした。
つまりそれは信玄にしてみれば自分の方が戦力的に優位にあると言う意識から出た物でして、総体的に劣る家康の方は譲歩せよと言う、力の論理が露骨に出た物であります。
それに対してポーランド征服における独ソ関係は、いまだドイツはソ連相手のいくさをはばかる状態にあって、予めソ連に認めた取り分に関してはいくさで占領しても、撤退してソ連に引き渡さざるを得ず、それをふたたび自国の領地として征服するからには2年後の対ソ戦争まで待たなくてはなりませんでした。
翌年は西部への侵攻が行われ、それはもっぱらドイツ単独の戦いであったために、しかも、そこには講和と言う物がなかったために、デンマーク、ノルウェー、ルクセンブルク、オランダ、ベルギーがそっくりドイツの支配下に収まりました。
ただ、フランスに関しては、ドイツの勝利が確実である事から、それに便乗してのイタリアの参戦があり、必ずしもドイツ単独でフランスの征服がまかり通る事はありませんでした。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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