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人名雑記⑩

「人名雑記」第10回目です。
ヨーロッパの君主の名前の後に付く○世は、1つの国の中であれば、いろんな家での通しで表記される一方、1つの家が異なる国を統治する事によって、ご破算で願いましてとばかりに元の国で何世を名乗っていようと、新たに一世から始めると言う事があります。
後にドイツの首都となるベルリンを中心とするブランデンブルク辺境伯領に、1415年にホーエンツォレルン家のニュールンベルク都城伯フリードリヒ六世が移って来た事で、六世改め一世と称する事となりました。ちなみに、これまで辺境伯にはフリードリヒが存在していなかったのです。
さて、当時の神聖ローマ帝国は、皇帝は世襲ではなく一部の帝国諸侯が選帝侯と指定されて、皇帝選挙の会議に出られました。ブランデンブルク辺境伯はその1つとして指定されていました。そこでブランデンブルク辺境伯はブランデンブルク選帝侯とも呼ばれていました。
さて、この(ブランデンブルク)ホーエンツォレルン家は17世紀には帝国に属さないプロイセン公国を領有し、さらには1701年にはその地において国王と名乗る事が認められ、これに伴い、それ以降、また新たに一世から始める事となりました。
ドイツ史の特徴の1つとして上げられるのが「二つ名」の君主が多いと言う所にあります。選帝侯フリードリヒ三世改め国王フリードリヒ一世の後を継いだのがフリードリヒ・ヴィルヘルム一世でして、この後フリードリヒ・ヴィルヘルムは四世まで輩出しました。
フリードリヒ・ヴィルヘルム四世の後を継いだヴィルヘルム一世の元でドイツ帝国が成立しました。ただし、ここでは皇帝を称するために新たに一世から始めると言う事はありませんでした。ヴィルヘルム自身はともかく、二代目皇帝がフリードリヒ三世と名乗ったのです。
ここで見る分には、フリードリヒ・ヴィルヘルムなる「二つ名」を称する事なく、フリードリヒのみで通していたならば、フリードリヒと称する国王は7人も出たはずです。
こうした命名法は1806年成立したオーストリア帝国でも適用されており、初代皇帝フランツ一世の後に続く2人の皇帝はフランツ・フェルディナント一世、フランツ・ヨーゼフ一世と、フランツのみに徹しなかったために、逆に最後のカール一世まで「一世」に徹した形となってしまいました。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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