日本郵政が、非正規社員を正社員に登用する選考試験の募集を始めたと言う記事を見て、ある事を思い出しました。
昨年末、遠方で暮らす高齢の母が自分で年賀状を書いて親戚に送りたいと言う。無地のはがきでは味気ないので、わたしがプリンターで絵を印刷、そのはがきを母に郵送する事にした。
郵便局に行くと、窓口で「中身を封筒から出していいですか」と言われた。意味がわからないでいたところ、「封筒が薄くて、はがきが20枚入っているのが見えますよね。配達中になくなるんです。金券ショップに売られてしまって。こちらで紙に包んで中身を見えないようにします」。
そういえば、数年前、親戚から「JRの切符を普通郵便で送った」といわれたが、届かなかったことがある。書留を使わなかったのが悪いのだが、今から考えると切符は「配達中になくなった」のだろう。
決め付けは良くないけれども、「なくなる」事を当たり前のように言われると、そうした状況で単純に正社員化を進めてもいいのだろうかとおもってしまう。(引用ここまで。6月30日分)
配達の当事者から言わせてもらえば、郵政事業の失敗の大部分は内部で生じているというのが実情であります。何しろ、中で起こる分には外に漏れにくいじゃないですか。郵便物に触れるのは別段、配達をやる人間ばかりではなく、引き受け担当者から多数にわたっています。
引き受け支店では配達先の支店への仕分けが行われ、さらに配達支店では、各配達区に仕分けが行われます。この間においてすっぱ抜くという可能性は決して少なくないのですよ。しかも、こうした内部で泥棒が行われた場合、下手人の特定がしにくいのです。この辺の所が配達者を下手人として特定するのに比べて厄介な所であります。配達人を下手人として嫌疑を掛ける分には、郵便物のあて先によって的が絞りやすいのです。
さて、こう行った泥棒行為から離れてエラーに関してですが、これら内務の連中によって引き起こされる、業界用語で言う「誤区分」は非常に多く、日常茶飯と言う有様で、あまりに多すぎるものだから、始めからそれがあるという前提で業務が進行している有様で、要するに連中がわれわれに対して、いちいちその種の謝罪を行うことなく、常にその付回しをこちらに押し付けっぱなしなのです。
これに対して、われわれが行う誤配の方は外部の人が迷惑をこうむることから、常に明るみに出ることでして、こうした現状からすると、上記の泥棒行為に関しても、中には自身で行っておいて、ばっくれてこちらに嫌疑の付回しをし放題にしているのではないでしょうか。
実際、20年近く前に、とある女子高において職員ののぞきがあった事に関して、わたしに嫌疑がかかりました。ただ、その女子高を含む範囲を配達できる奴と言うだけの理由においてです。実にばかばかしい話でありました。かの地が女子高であることは外から見ても分かりそうなものでして、それならば、そのような不心得な事を思いつく者は何も配達できる奴でなくてもいそうな物じゃないですか。
上記のようなくだらない理由を以って下手人のめぼしをつけるのであれば、かの地を配達できない、よその班の職員、あるいは保険課や貯金課の職員、あるいは内務の職員の中に真なる下手人がいても、何の嫌疑も掛けられないままに放置される事はならないのではないでしょうか。
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