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「庁」から「省」へ



PCのかたわらにはラジカセがあります。ただいまの所は、ふた月前に発見したサイト 西洋軍歌蒐集館 より収録した歌を聴きながらというのが日常ですが、ドイツ語のものがダントツで、2番目に多かったイタリア語の物が19曲で収録完了したのに対して60曲収録してもまだ半分以上未収録と言う状態であります。ε=(´O`;)


とは言え、かようなサイトがあった事は 


ワ~イ\(^∀^ )/=з=з=з ε=ε=ε=\(  ^∀^)/ワ~イ と大喜びできる事であります。


さて、本題といたしましては、最近、国防をになう官庁としてこれまで存在していた「防衛庁」が「防衛省」に昇格との運びとなった事に関して取り上げます。一部には、こうした動きを軍国主義への道なんぞと主張する人もいます。


これは例によって、日章旗や君が代に対する反対のごとく幼稚な発想としか言いようがありません。まず、単なる名称の上での変更でしょう。よしんば地位が向上したとは言え、所詮、総理大臣によって指名される議員が大臣を勤め、それ以下の職員にしても、自衛官はいても高が知れていると言う状態で、かつての軍部独走が再来する事はありえないはずです。


これに比べれば、ドイツのほうは、そうしたくだらない批判が生じない分、幸いだと羨望したいです。そこで、ドイツはその辺のところどうだったかを参考(一瞬、「三光」が出てドキッとしました ビ(^▽^*)ビックリ!)までに取り上げたい所です。


第二帝政のころ


1871年に成立したドイツ帝国は、一種の同盟が国家に発展した物であって、連邦国家の性格を有していました。軍隊はプロイセン、バイエルン、ザクセン、ヴュルテンベルクの4王国の分担軍で、王位を有さない小さな君主は、プロイセン軍への参加という形で、軍隊の供出を行っていました。


このせいか、軍政、軍令を行う機関として存在する陸軍省、参謀本部は帝国レベルでは存在せず、プロイセンのそれが全体を総べる形で代行していました。


さて、海軍はどうしたかと言うと、統一がなった後になってもしばらくの間、低い扱いでしかなく、3代目皇帝ヴィルヘルム二世によってようやく、本格的な編成が始まりました。このための軍政、軍令機関として、帝国海軍庁と軍令部(SKL)ができました。


ここで帝国海軍庁としましたが、原語が Reichsmarineamt (ライヒスマリーネアムト)からの直訳としました。これに対して陸軍省のほうは Kriegsministerium(クリークリミニステーリウム) と「省」に相当する Ministerium です。


まあ、このころの帝国政府は大臣に値するのは頭である帝国宰相くらいで、その下にある各省の長は大臣ではなく、Staatssekretär(シュターツゼクレテーァ=国家長官)であって、省務専門でしたから、海軍ばかりが低い扱いを受けていたとは言いかねるのですが、その代わり、日本のように内閣総辞職という物がなく、1人の長官が長く勤めると言った試しもありました。


ドイツ海軍は1897年にティルピッツを海軍庁長官に就いてから巨大な艦隊を保有する事になりましたが、第一次世界大戦では、イギリス海軍と大した戦いを挑むことができずにティルピッツは1916年に辞任し、主力艦隊はほとんど無傷のまま1918年の敗戦を迎えることとなりました。


ヴェルサイユ条約


第一次世界大戦に敗れたドイツはヴェルサイユ条約によってべらぼうな賠償を強いられたばかりか、極端な軍備制限を課せられました。戦車、潜水艦、航空機、毒ガス、列車砲などの有力兵器の禁止のほか、保有を認められた兵器の数の制限、砲弾の制限、兵士の制限。また、ソフト面として参謀本部、陸軍大学校、幼年学校の廃止が決定しました。


その中でも、ご勝手にとして認められた物が帝国国防省(Reichsministerium für Wehr=ライヒスミニステーリウム・フュァ・ヴェーァ)の制定でした。ヴァイマル体制では、議院内閣制が制度化されましたので、国防大臣は帝国宰相が議員を指名すると言うのが普通でしたが、別段、この地位に将軍が就いても国際的に問題はありませんでした。大統領ですら、1925年に、第一次世界大戦後半に参謀総長を勤めたヒンデンブルク元帥(軍服着ての大統領職遂行ができた)だったのです。


国防省の中身についても、軍人が職員として勤めてはいけないと言う制約はなかったようです。その代表的なものとして、禁止された参謀本部に代わってできた統帥部と言う物が省内に設置されました。


連邦共和国では


第二次世界大戦の敗戦後、ドイツ民主共和国ではソ連の指導の下に人民軍が早々とできたのに対して、連邦共和国では、1955年になってようやく連邦軍が編成されることとなりましたが、参謀本部は禁止のままでした。まあ、これは、連邦軍の軍団司令部が直接、NATO軍司令部の指揮を受けると言う形のために問題なかったわけですが、連邦共和国が独自に軍隊を作る以上、軍政の方は必要なので、国防省が復活しました。←当然、「省」を名乗っても国際的な非難はありませんでした。戦車や戦闘機の胴体に鉄十字を書き込んでも、問題にならないのに、こんなことを問題にする奴いないですよ。


おわりに


これに比べて、日本は往々にして、かようなくだらないことを問題視する連中がいるんですねぇ。軍部の独走暴走を警戒するのならば、自衛官の集まりである、幕僚監部のほうこそ注目するのが筋と言うものです。


かつての参謀本部や軍令部に相当するものとして、陸上・海上・航空の各自衛隊はそれぞれ幕僚監部ができ、さらに、アメリカの統合参謀本部に相当する統合幕僚監部ができました。


そういえば、かつての日本は、軍種に応じて陸軍省、海軍省があったじゃないですか。今や、航空自衛隊まであるのに、防衛庁と言う1つの「庁」で済んでいるじゃないですか。「庁」が「省」になっても、昔よりは小規模で済むじゃないですか。それでもけちをつけますか?


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テーマ : 国家防衛 - ジャンル : 政治・経済

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コメント

>それでもけちをつけますか?

けちをつけるんです。
だって市民団体自体、リーダー格の連中は「市民」とは程遠い連中ですもの。
この連中の頭の中では、日本軍=悪魔という図式しかないのですから、何を言っても無駄というものです。
自衛隊に反対して、アメリカの軍艦が寄航した時には大声で抗議する癖に、シモ朝鮮の軍艦が寄航したら『民族衣装を来て出迎えに行く』ような連中なんですよ。
こんな連中を啓蒙しようなんて無駄。
書き込みも無視するのが一番です。

阿麗☆さんへ

たびたびの訪問ありがとうございます。

まあ、当ブログは大して人気ブログと言う訳ではありませんから、_| ̄|○ガックシ この種の主張にけちをつける人はめったに来ませんが・・・。
>『民族衣装を来て出迎えに行く』
ってのはねぇ。そうすると、市民団体の首領というのも、隠れ朝鮮人なんですねぇ。よしんば日本国籍をもっていても、そうした連中は日本人もどきですな。
そんなにいやな国なら、住むべからず! かように住みよい国もめったにないだろうに、罰当たりな!

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

結局

“けち”をつけたい人は、何にでも“けち”をつけますね。
もっともらしい、非理論的な理屈で!
話になりません。

刀舟さんへ

たびたびの訪問ありがとうございます。

>もっともらしい、非理論的な理屈で!
まったくその通りです。「防衛大臣」をはじめ、「防衛省」の職員が少なくとも大多数が自衛官でもないのに、どうやってかつての軍部暴走の再現の危険性をはらむのか分かりません。

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