「平時の視点から見た軍隊」第27回目です。
日帝時代の韓国において、支那事変中に韓国やそれに与力するやからいわく、朝鮮人に対する日本語強制と言う事が行われ、それが朝鮮人の徴兵と結び付けるやからもいるようですが、よしんば彼らに対する日本語教育の真骨頂にそうした意図があるとしたら、もっと前から推し進めておくべきでして、どうも支那事変中からやるようでは泥縄の感が否めないのです。
そもそもこのシリーズを立ち上げたきっかけと言うのが、昨今話題となっている集団的自衛権と徴兵を結び付けるやからの存在があったからです。まあ、集団的自衛権と徴兵とは全く別個の物でありますが、よしんば徴兵制を施行するにしても、彼らの発想では、徴兵した翌日にでもそれらの兵士をいくさ場に派遣するかのような感覚のように見受けます。
彼らの感覚はお上が思い立てば容易に強制してでも可能なように考えているようですが、徴兵制によって、国民を強制的に兵士にできると言う事と、そうして出来上がった軍隊がまともに機能するかと言う事とは別問題だと言う事なのです。
よしんば徴兵を法律上成立させえたとしても、それをうまく機能させるためには、普段の社会がそれに見合った状態である事が必要なのです。まあ、彼らにしてみれば、そうした社会を軍国社会とでも言うのでしょうかねぇ。
さて、コンゴ動乱の舞台となったコンゴ民主共和国も、徴兵制を施行する事と、そうして出来上がった軍隊がまともに機能するかと言う事は別問題だと言う事が指摘できるのです。
幸いにして我が国では、日常会話の段階において日本語で事足りているのに対して、コンゴの場合は、いろんな白人諸国の都合で植民地の分割がなされた名残で国境が出来上がっていたために、その中にどんな人間がいるのかと言う事と無関係にそれらが1つの国民としてまとまられされられている状態でして、そうした国民に共通した物を求めると言う行動の1つが、前回も取り上げた国家公用語としてのフランス語だったのです。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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