FC2ブログ

プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

馬の骨願望の主人公

皆さんこんにちは。今日は、「他人願望」の派生で、「暴れん坊将軍」をネタに書いていきます。
「暴れん坊将軍」は、「水戸黄門」や「遠山の金さん」同様、主人公がより身分の低い他人に成りすましての勧善懲悪にいそしむと言う点では共通しているのですが、他の2つのドラマと決定的に異なっている点があります。その点を段階的に解説していきましょう。
3つのドラマの主人公はすべて元の立場で持っている正義の心を貫徹させるために別人物に成りすまして登場するのですが、「水戸黄門」や「遠山の金さん」では制裁する対象は常に見ず知らずの他人ですが、「暴れん坊将軍」に限っては、「余の顔を見忘れたか」と言う言葉に象徴されるように、吉宗が知っている大名や旗本だったりするのです。
同じ勧善懲悪でも、見ず知らずの他人であれば制裁する行為に快感が生じる事だってあるでしょう。しかし、自身にとって良く知った人間が悪者で、それを制裁しなくてはならないとしたら、それは自分自身に対する裏切りと言う感覚になってしまうでしょう。ましてやそうした事が日常茶飯事となったならば、人間不信や自己嫌悪と言う物が込み上げてはこないでしょうか。
上杉謙信も、家臣同士の対立が頻発した時にうんざりして、一時春日山城から出て行ったなんて事があります。「暴れん坊将軍」の吉宗もこんな感覚だったのでしょう。
ドラマの中の吉宗は決して江戸から出奔と言う事をせず、しかるべき使命感の元での外出でしかなかったのですが、毎回「余の顔を見忘れたか」と口にせざるを得ない事態に出くわす以上は、江戸城内部において少なからず人間不信になってしまった事は否めないでしょう。
徳川吉宗と言う立場を離れて徳田新之助なる別人物に成りすまして江戸城外に出て行くのは、最終的には自身の正義を貫徹すると言う使命感からの物でしょうが、その中には馬の骨願望と言う物が存在していた事は間違いないでしょう。
将軍と言うべらぼうな身分の下にあっては、取るに足らないことでも、いちいち注目の対象となり、友人付き合いをしたくとも、相手の方で恐縮してしまうわけで、ここに馬の骨願望の意義があるのです。
最後のシリーズでも、め組みの頭栄五郎に対して正体をばらしたときなどは、案の定、
栄五郎は一時恐縮してしまったのです。こうした事を見れば、容易に正体をばらす事は出来ず、将軍に比べれば取るに足らない旗本の部屋住みと言う馬の骨に成り下がることで、その他の連中とも気安く交流する事が出来たのです。
これらの連中は、主人公の正体を知らずに済むおかげで往々にして無遠慮な態度をとる傾向が多いのですが、それでも悪事をなさない連中であると分かっていれば、主人公としては、江戸城内における人間不信に陥りやすい場に比べれば、そうした事は却って安らぎの時であったと思います。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

スポンサーサイト



テーマ : 時代劇 - ジャンル : テレビ・ラジオ

<< 鬼と呼ばれたい女 | ホーム | 子供の人権と言う欺瞞 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP