「平時の視点から見た軍隊」第36回目です。
南米を舞台とした戦争映画、そして「アラン・ドロンのゾロ」に出て来る軍隊と言えば、民衆相手にいくさしている訳ですから、そのありさまは左巻きが沖縄戦での惨状を引き合いに出して言う「軍隊は民衆を守らない」がてきめんに当たっている状態であります。
映画「誰がために鐘は鳴る」は、人民政府側の抵抗組織に属していた人間の1人が、橋に警備に立っているフランコ軍の兵士の中に知っている若者がいるとして、それを殺す事に関して気乗りしない場面がありました。
内輪でのいくさともなれば、個々の兵士からすれば、かように知っている人間を殺さなくてはならない場合もあり得る訳でして、そうなって来ると、ますます徴兵はしっくり来ない側面があると言えましょう。
上記の言葉が示す通り、左巻き自身、軍隊と民衆とを別個に考えている以上、あえて別個の存在となるためには、民衆から獲得する形となる徴兵制は矛盾している事になり、為政者側が、民衆が往々にして敵となり得るものだと見なしているのであれば、忌避すべき手段と考えるべきでしょう。
そこでいにしえの軍隊のなり手の獲得手段としては、外国人だったり、異民族だったり、あるいは被差別階級の人間だったりする事もあります。
これらの連中ならば、為政者が支配している一般の民衆と共通している立場になく、むしろ一般社会の鼻つまみ状態であると認識されていれば、為政者としてはそれらの兵士が一般民衆とつるんで自分らに抗うような事態から逃れられると安心できる部分もありまして、恰好な兵士のなり手として活用できたのでした。
さて、左巻きの日ごろの自衛隊に対する意識なんかを見て見れば、あまつさえ経済的徴兵なんて発言もある訳でして、民衆と共存できない鼻つまみな連中によって担われる賤業扱いなのですね。(完)
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