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艦隊司令部の位置⑩

「艦隊司令部の位置」第10回目です。
元来連合艦隊司令長官は、いくさや演習の時に臨時に任命される物と言う前提で成り立ってきた事から、第1艦隊司令長官の兼務と言う事が倣いとなってきましたが、後には常設の役職となりましたが、その時に至っても、それは第1艦隊司令長官の兼務となっていました。
しかし、その後連合艦隊の規模が徐々に大きくなってきて、昭和16年8月になって第1艦隊司令長官が別途任命される事となりました。
とは言え、軍隊区分上では、第1艦隊の大半は連合艦隊司令長官直卒の主力部隊として決戦に出撃する事になっていた事から、そう言う状態で第1艦隊司令長官が別途任命される意味と言う物には疑問が付きまとう状態でもありました。結局その状態だと、旗艦「日向」が属する第2戦隊司令官としての役目しかあり得ないのではないでしょうか。
ただ、大東亜戦争自体は連合艦隊がひとまとまりになって出撃すると言う事態がなかなか訪れる事はありませんでした。真珠湾攻撃自体、創始者である山本五十六自身指揮を執りたいと思っていたのにもかかわらず、第1航空艦隊を基幹とした機動部隊のみで行えるし、連合艦隊のそれ以外の兵力がいろんな作戦に拡散してしまっている状態では、山本自身の出撃は、特定の作戦にのみかかりきりとなって、よそをおろそかにする事になる事から遠慮されていました。
その結果、連合艦隊司令長官直卒として主力部隊の中核として位置付けられていた第1艦隊自身も出撃しない事になっていましたが、こちらの方は真珠湾攻撃をやり遂げた機動部隊の出迎えのために、後に出撃する事となりました。
もっとも、やはりそうした出撃も決戦ではなく、一部の兵力でできる限定的な役目と言う事で、山本自身の出撃はなく、旗艦「長門」が残り、「陸奥」以下の5隻の戦艦が第1艦隊司令長官高須中将に率いられて出撃しました。
もしここで「長門」が連合艦隊旗艦として位置付けられておらず、陸上で指揮を執っている状態にあったならば、「長門」もここでは出撃の1艦となっていた事でしょう。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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