FC2ブログ

プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

国旗・国歌物語⑪

皆さんおはようございます。今回で「国旗・国歌物語」は11回目となります。
左巻きの感覚からすれば、自身の主義主張を貫くためには自国ばかりか外国の歴史までも歪曲する事をいとわないようで、よしんば枢軸国だからといっても、その中はいろいろでして、一概にひとくくりできる物ではありません。日独伊ですら、それぞれ異なる点があったのですから、それ以外の国にいたってはなおの事です。
ハンガリーが失地回復を欲した矛先の国のひとつとして、ルーマニアがあります。前大戦においてドイツ同盟国だったハンガリーは早くからドイツとのよしみを持っていたのに対して、ルーマニア自身は協商国側だったため、大戦初期、四面楚歌状態だったポーランドの唯一の友好国として、亡命政府や敗残軍の逃亡ルートとして受け入れられていました。
さて、翌年、ドイツはバルカン諸国の枢軸陣営引き込みの一端としてウィーン裁定を行い、ハンガリーとブルガリアに対してルーマニアが領地の割譲を行うように求めました。要するにルーマニアとしては割を食う結果となる事となりましたが、一方ではソ連からもたかられていた事もあって、ドイツの援助は欠かせないために、かの国の憎しみはハンガリーに対して重点的に向けられる事となりました。
その結果、両国とも対ソ戦争に軍隊を派遣する事になりましたが、うっかり両軍が隣り合わせになろう物ならば、その場でいくさと言う事態になったために、両軍を指揮下に置く事となったドイツ南方軍集団は両軍が隣り合わせならないように部隊配置をするように配慮しなくてはなりませんでした。
それから3年経ち、戦局利あらず状態になり、ハンガリーは連合国との休戦を模索する事となりましたが、ドイツは当地のファシスト「矢十字党」を後押しして、クーデターが起こります。この結果、久しく摂政の座にあったホルティは失脚し、矢十字党党首のサーラシがその後釜について、ホルティが意図していた休戦を撤回してしまいます。
この後、ハンガリーはイタリアのように王国の元で降伏する機会を失い、ソ連軍に全土を取られ、それに追随していた共産主義政権に取って代わられました。
では、この過程でハンガリーの国旗がどのように変化して行ったかを見てみましょう。前大戦終戦直後の短期間を別として、王室はなくなってしまったとは言え、制度上ではハンガリーは王国である以上、王国としての国旗を維持しても差し支えありますまい。
それが戦後となりますと、旧来の紋章に差し替えて共産主義国家としての新たな紋章を国旗に付け、冷戦終結後に西側張りな共和国になるに従って、そうした紋章もなくなって今では、「のっぺらぼう」な緑・白・赤の三色旗となっています。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

スポンサーサイト



テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

<< 洗脳教育? | ホーム | 苛政猛虎ならぬ苛政原発か? >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP