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国旗・国歌物語⑱

皆さんおはようございます。「国旗・国歌物語」もようやくメインディッシュと言えるドイツ編に入ることができます。ドイツの場合、鉤十字旗が用いられたと言う点で非常に特異だと見受けます。よその国ならば、よしんば共産主義国たろうとも、国旗の変化は旧来の国旗を基準にして行われたのですが、ドイツの場合、単なる一政党旗に過ぎない鉤十字旗が用いられたと言う珍しい現象が起こったので、あまりよその国との比較を行うべきではないでしょう。
それゆえに日伊との比較は無意味であって、しいて比較の対象があるとしたらそれはソ連の国旗に他ならないでしょう。ソ連の国旗の場合も、旧来のロシア国旗とは無関係な共産主義独特の旗を登場させたと言う点で珍しいと言えましょう。
そうなってくると、ドイツの場合、どうして単なる政党旗が国旗へと流用されて行ったか、その辺の所を検証して行く必要があるのではないでしょうか。
まずはナチ党の古参党員はかなりの者が第一次世界大戦に従軍していたと言う事実が大きく物を言ったのかもしれません。当時としてはドイツの国旗は黒白赤の三色旗でして、大戦がドイツの勝利に終わったならば、別段、国旗に変化が生じることはなかったでしょうが、戦後に今の連邦共和国と同じ黒赤金の三色旗に変わりました。
もっとも、ヴェルサイユ条約でやかましくドイツの軍備に制約を与えたとは言え、連合国は象徴的物に関しては無頓着でした。国家のタイトルですら「ドイツ帝国」のままでお構いなしなのですから、国旗にいたっては勝手にしろと思っていたに違いありません。
後年、ドイツでは大戦中に参謀総長を勤めたヒンデンブルク元帥が大統領に選ばれましたが、この件に関して連合国が軍事独裁の復活かとけちを付けたことはありませんでした。連合国が重視していたのは、彼が大統領になったことよりも、彼も将校の端くれとして4000人の1人に勘定して(条約により、将校の定員は4000人に制限されていました)、実質的な将校の数を1人でも少なくしたい事ではなかったでしょうか。
ともあれ、ナチ党からすれば、ヴァイマル時代を屈辱の時代とみなしていた訳で、黒赤金の三色旗も同様に考えていたと思います。後々、この三色旗を新国旗に主張した社会民主党は弾圧の対象としましたが、旧来の三色旗をヴァイマル時代でも国旗にしたかった保守連中とは妥協した事を考えれば、国旗の変化が大戦後に生じなかったならば、ナチ党も黒白赤の三色旗を引き続き国旗としたと思います。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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