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分裂過多の組織⑥

皆さんおはようございます。一時期猛暑と騒がれましたが、それも10日程度のことでして、昨今では梅雨が戻ったのではないかと思うほどに曇天が頻発して、この結果、皮肉なことに、節電の必然性が薄れてしまう状態にあります。
さて本題に入りましょう。「分裂過多の組織」の6回目であります。

明治36年に児玉源太郎が参謀次長に就任する事となりました。これは当時、降格人事ではないかと一騒動となる出来事でした。何しろ児玉は、陸軍大臣経験者でして、この人事異動が行われる時点でも内務大臣でした。
当然、陸軍大臣も閣僚の端くれとして内務大臣と同等の地位でしたが、一方、参謀次長は省庁で言えば次官相当の地位でして、なるほど降格とみなされてもあながち間違いとは言えません。
ただ、児玉本人は日露戦争が切迫していると言う時期もあってか、むしろ自分こそふさわしいとみなして、却って、張り切ってそうした人事を引き受けました。
ではこのような奇怪な人事異動が可能であったかと言えば、当時児玉はまだ中将でしかなかったからです。すでに当ブログでも書いた通り、わが国では大将が少なく、西南戦争時点では1人(西郷隆盛だけだから、実質的には0人)、日清戦争開戦時には4人(内2人は皇族なので、大臣適任者は2人)、日露戦争開戦時には7人と言う有様でした。
そんな訳ですから、大臣は親任官だからと言って、大将だけしか採用できないとなれば、とても需要を満たす事はできません。ましてやこの後も日本では1つの内閣が長持ちするなんて事はそれほど当たり前なことではなく、当然、大臣の交代が頻繁されていました。
そうした人材不足に対処する必要もあってか、軍人から大臣を採用する場合は勅任官たる中将も採用条件に含めていました。この後も陸軍大臣が中将で任命される事が頻繁に生じました。しかも当時としては、それでも人材の供給に難を生じており、大臣がよその役職を兼務すると言うことは珍しくなく、現にこの時点で児玉自身は台湾総督も兼務していました。
さて、児玉の参謀次長の就任は降格ではないかと言う懸念も、ある意味では無意味ではないかと思います。よしんば陸軍大臣よりも参謀次長の方が先任序列で勝っていても、陸軍省も参謀本部もそれぞれ独立した別個の組織であって、それぞれよその組織に対して権限外と言うことであれば、参謀次長が陸軍大臣に対して命令を下すと言う事はないのです。
参謀次長自身は中将ないし少将で就任できたので、後は参謀総長よりも下級者でさえあれば1つの組織の中での上下関係は保たれるので問題なしなのです。当時参謀総長だったのは、すでに大将であった大山巌でした。
この後も、陸軍大臣から、降格人事ではないかと思う奇怪な人事がありましたが、それらは大臣が中将であったからあり得た事でした。むしろ、それよりも例外的と言えるのは、翌年、満州軍総参謀長と言う親補職でもない役職に、大将に昇進した児玉が就いたことでしょうか。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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