FC2ブログ

プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

徳川親藩伝⑬

「徳川親藩伝」第13回目です。
御三家自体が将軍家が自前で後継ぎを用意できない場合の備えとして創出された物でして、それを思えば、御三家やその分家にしても、子だくさんの時もあれば、子なしの場合もあり得まして、そうなって来ると、生まれた子供の分だけ必ず分家を作っておかなくてはならないとは言えません。
せっかく分家を作っても後継ぎができなければ廃止にしなくてはならないだろうし、それ以前に別個に領地をあてがう必要が生じて来るだろうし、その結果、御三家の領地の細分化が生じて来るかも知れないし、さりとて幕府の方も必ずしも別途に領地をあてがう事ができるとも限らないのです。
その結果、全ての庶子が分家を持つ事ができるとは限らず、よしんば分家を創出する事が認められても、あくまで暫定的な物として認められるのに過ぎないと言う場合もありました。
具体的な例を尾張家の中で見るのならば、梁川藩が2つ目の分家として存在していましたが、3代目の義真の代で後継ぎがないためにいったん廃止になったのが、尾張家3代目の綱誠の息子の1人である松平通春(後の尾張宗春)が藩主として入った物の、本家の方で後継ぎが絶えると、その後継ぎとして出て行ったために、再び梁川藩は廃止となりました。
このパターンは紀州藩にも当てはまる事となりました。2代目藩主の光貞の4男の頼方(吉宗)が越前の葛野藩主(3万石)になりました。大河ドラマの「八代将軍吉宗」では吉宗自身、これで自分も大名だと張り切って現地に出向こうとした所、父親から「あそこは実質5000石の痩せた所だから、行くのはやめとけ」と言われて、実際にも現地の統治に当たってのは紀州藩の家臣であって、吉宗自身は従前通り部屋住み状態で、吉宗が紀州藩を継ぐと、葛野藩は廃止となって、領地は幕府に返還されたのでした。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム



韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 


人気サイトランキングへ








スポンサーサイト



<< 社員が必ずしもユーザーたりえるはずもない | ホーム | 煮沸消毒だにしないのか >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP