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徳川親藩伝⑯

「徳川親藩伝」第16回目です。
御三家の中でも水戸家は分家に至るまで独自性が際立っていました。尾張家や紀州家の場合、幕末まで存続した分家として、高須藩、西条藩がありましたから、水戸家の場合も高松藩さえあれば事足りたと言えるはずだったのですが、光圀の3人の弟が守山藩、府中藩、宍戸藩を1万ないし2万石の小藩ながら別途設置されました。
よその例からすれば、これなんかも本来は高松藩優先で、後継ぎに余裕がなければ、その内廃止になるかも知れなかった所でしょうが、幕末に至るまで高松藩を含むこれらの4つの分家は本家たる水戸家ともども後継ぎを融通しあって、独自の血統によって維持する事ができました。
高松藩にしても、光圀の求めに応じて彼の後継ぎとして都合2人の養子が供出された代わりとして送り込まれた、光圀の実子頼常が自身の後継ぎとして選んだのが、水戸綱条の弟に当たる頼侯(よりとし)の息子である頼豊で、この頼豊の実子も水戸宗尭として本家の養子として出て行き、その後を継いだのは綱条のさらなる弟である頼芳(よりよし)の孫に当たる頼桓(よりたけ)でして、ここまでは松平頼重の血統が維持された訳ですが、この後を継いだのが上記に上げた守山藩から養子にやって来た頼恭(よりたか)でした。
この後、4代後になって水戸家から養子でやって来た頼恕(よりひろ)によって、高松藩は頼重の血統に戻った訳ですが、それ以外ににしても、頼房の血統が維持されたと言う事は驚異的な物でありました。
これに対して尾張家や紀州家の場合は、将軍家ないし御三卿からの養子を受け入れる有様でした。まあ、紀州家の場合は、将軍家を輩出した家でして、将軍家からの養子を受け入れる事は、元の血統に立ち返ったと言っても良い訳ですが、既に将軍家からして、吉宗以来、吉宗の血統優先が意識されていたように、その時の紀州家も吉宗の後を継いだ宗直の血統優先が意識されていて、その点では、やはりよそ者の養子を受け入れざるを得なかったという思いがあった事でしょう。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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