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徳川親藩伝⑲

「徳川親藩伝」第19回目です。
周知の通り、徳川家斉は子だくさんでして、多数の庶子の「処分」に関して大変苦慮される事態となりました。これまでのように新たに分家を創出するのには、既に御三卿が出来上がっている状態でして、せいぜいの所が空き家状態の清水家に養子を送り込む程度でしかなく、後はそれ以外の大名家に送り込むしかありませんでした。
一方の田安家、一橋家の方も子供は余っている状態でして、こちらの方でも多数の子供の「処分」に苦慮していました。ただ一橋家では、この後後継ぎの早死にが相次いでしまって、将軍家や田安家からの養子縁組が頻発してしまい、あまつさえ、将軍家では、家斉の後を継いだ家慶も子だくさんではあった物の、早死にが多く、果たして、一橋家に供出できる後継ぎが枯渇してしまう事態となりました。
その結果、一橋家では本来吉宗の血統でのみと言う制約を取り払って、水戸家から、松平昭致(あきむね)を養子として受け入れて、慶喜と名乗らせて当主とする事としました。
これは、単に一橋家の問題だけで済ますのであれば、当面は主なしにしておいて、後日将軍家か田安家辺りから後継ぎを出せば良いと言う、従来の考えでは済まされなくなり、将軍家自身が自前の後継ぎを出せなくなる可能性に備えた物だとも言われています。現に家慶の実子である家定は病弱で、そこから先の後継ぎ創出の上で不安があったのです。
果たして家定の後継ぎとして選ばれたのが、紀州藩主であった紀伊慶福(よしとみ)でして、彼は、家斉の息子の1人で清水家を継いだ斉順が、さらに紀州家へ養子に入ってもうけた子供でした。養子とは言え、依然として家斉の血統は生きておりましたが、その後が続かなく、彼自身も養子で後継ぎを維持しようと狙った訳ですが、家斉の血統は確保できずに、慈善の選択肢として、一橋治済の血統から選ぶ事になり、それで白羽の矢が当たったのが、田安慶頼の息子である亀之助でしたが、幕末の緊急時に幼少の者の後継ぎは臨み難き物だとして、1866年、一橋慶喜が、家茂死後の将軍職を継ぐ事となりました。
さて、この頃になりますと、御三卿に関してはますます後継ぎの条件が緩和してしまっていて、清水家には慶喜の弟である昭武が名前を改める事なく入り、一橋家にしても、慶喜が出て行った後を継いだのが、もと尾張藩主の茂徳(もちなが)が茂栄(もちはる)と改名した上で入っていました。
この後、大政奉還と王政復古をへて慶喜が隠居してしまった事で、将軍家自身が空き家同然の状態になってしまった事から、後になって新政府の承諾を得て、上記の田安亀之助が徳川家達(いえさと)として後を継ぐ事となりました。

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