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どうせすぐに「空き家」になる

三・一独立運動を伝えたAP特派員の邸宅「ディルクシャ」復元へ

ソウル鍾路区(チョンノグ)杏村洞(ヘンチョンドン)1-88番地の丘には古風な赤い西洋式の邸宅がある。英国と米国の様式が混ざった建物だ。地下1階・地上2階で総面積624平方メートル規模。日本による植民地時代、ソウルでは最も大きい西洋式の個人住宅だった。杏村洞にある目立つ建物だったため、以前から住民の間では「銀杏木の家」と呼ばれてきたが、誰がなぜ建てたのかは知られていなかった。

1990年代にソウル市が調査を始め、邸宅跡地の基礎に刻まれた「DILKUSHA1923」を発見した。しかしその意味はベールに包まれていたし、建物の正体もミステリーとして残っていた。

疑問が解けたのは2006年、米国人のブルース・テイラー氏が訪韓した時だ。テイラー氏は「ここは私の父アルバート・テイラーと家族が生活していた『ディルクシャ』で、ディルクシャとはヒンディー語で『理想郷』『希望の宮殿』という意味」と説明した。1919年、日本の圧制に対して非暴力平和運動で抵抗した三・一運動を世界に知らせたアルバート・テイラー氏の行跡が約80年ぶりに照明を受ける瞬間だった。

もともとテイラー氏は鉱山業に関心を持つ事業家だった。1919年、高宗(コジョン)の崩御に関する情報が必要だったAP通信社がテイラー氏を特派員として特別採用した。その後、テイラー氏は三・一独立運動と民族指導者33人の裁判過程、堤岩里(ジェアムリ)虐殺事件など日本の強圧的な植民支配状況を取材して報道した。三・一運動を伝える時は総督府の検閲を避けるために独立宣言書など主要資料を弟のビル・テイラー氏に渡して出国させたりもした。

テイラー氏は1923年に「ディルクシャ」を建てて家族と一緒に暮らしたが、1942年の太平洋戦争中に日本により追放された。主がいなくなったディルクシャはしばらく自由党の趙瓊奎(チョ・ギョンギュ)元議員が所有した。趙元議員は1963年、不正蓄財者として財産が没収され、その直後にディルクシャも国有化された。この時からディルクシャは放置された。現在、障害者など社会経済的脆弱階層の12世帯・23人が無断居住している。

ソウル市は26日、三・一運動100周年の2019年までにディルクシャを復元し、市民に開放すると明らかにした。居住者移住問題は文化財庁・鍾路区などと協議して解決することにした。またディルクシャを国家文化財に登録し、三・一運動100周年の2019年までに復元し、文化遺産としての価値を回復させることにした。



しかし何ですなぁ。ここで見る分だと、最初の持ち主たるテイラーがアメリカへ追放されて、空き家になった後を趙瓊奎が所有したとありますが、どのような手段で所有するようになったのでしょうか。やはり、空き家の横取りと言う事なのでしょうか。
そして、後になって趙の不正蓄財が暴露されて没収の段階になると、それは国有化された訳ですが、その段階においての管理がなっていないと言う事じゃないですか。どうやら、誰も自身の個人所有とできない物に関する財産の管理なんぞはぞんざいになってしまうと言う事なのでしょうか。果たして、さらにその後になって社会経済的脆弱階層と言われる連中に勝手に居つかれると言う有様でして、これもまたこの連中による、空き家の横取りと言う事なのですよ。
そして、今さらになって、文化遺産として認定しようだなんてしてもねぇ。まともに行くのでょうか。遠からず、そうした異に対する関心が冷めてしまって、その建物も「もと通り」放置された空き家へとなって行くのではないでしょうか。

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