「役職の注目度とランクと階級」第62回目です。
帝国海軍において司令長官とか司令官とかの役職名が存在しています。それは指揮を執る組織の指揮官としての役職名でありますから、必然的に指揮する組織の中身と言う物が問われる訳であります。帝国海軍の実働部隊の組織として、艦隊編制と軍隊区分と言う符牒がある訳ですが、前者の方は、天皇が認めた軍備の元で存在している物であって、それに対して軍隊区分は個々の作戦に応じての必要性から臨時に編成される物でして、それだけにいちいち天皇の裁可を仰ぐ必要のある物ではなく、ある程度軍令部以下の現場の裁量で編成して良い物とされています。
司令長官は宮中に出向いて任命を受ける親補職の1つであり、従って、それは艦隊編制上での役職と言う事になります。それに対して軍隊区分における指揮官はあくまで指揮官でしかなく、その規模が艦隊と言うのに値しようとも、艦隊編制と言う、天皇の認めた軍備の元で編成される物でない以上、親補職とはなりえません。たまたまその軍隊区分における指揮官である人間が司令長官であったとしても、それはあくまで艦隊編制上で任命された役職であって、軍隊区分においては司令長官と言う事はありません。
例えば真珠湾攻撃に出向いた機動部隊の指揮官は南雲忠一で、艦隊編制上では第1航空艦隊司令長官でありましたが、ミッドウェー作戦においては、同時進行されるアリューシャン作戦のためにも別個に第2機動部隊がより小規模な形で編成されていました。
機動部隊と言う名称では同じ物の、その規模は違っていました。第2機動部隊の方は第4航空戦隊の2隻の空母が中心となっていたために、指揮官は第4航空戦隊司令官でした。
さて、艦隊編制上では第4航空戦隊は第1航空艦隊の一部となっていましたが、個々の作戦遂行と言う視点からすれば、この戦隊がよその、より大きな空母と共同歩調を取る事はできませんでした。真珠湾攻撃の時は、航続力の問題から「赤城」ですら、南方作戦に振り向けようかと言う意見もあったほどでして、それよりさらに小型の「龍驤」に至っては論外と言う事で、終始別行動を強いられたのでした。それが軍隊区分の意義のひとつであります。
第4航空戦隊がよその航空戦隊と一緒に行動できたのならばいざ知らず、常に別行動を強いられた事で、護衛の艦艇も別個に用意してもらう事になりまして、アリューシャン作戦の時には重巡「高雄」、「摩耶」と3隻の駆逐艦が付くと言う、ちょっとした艦隊の規模になっていましたが、あくまで軍隊区分である以上は、指揮官は指揮官でしかなく、司令長官となる事はありませんでした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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