「利益認識の乖離」第239回目です。
前に朝鮮日報で、徒競争スタンバイの状態が描いているイラストが掲載されていたのを見た事がありました。そのイラストでは、個々のランナーのスタート地点が異なっていました。それは風刺でして、親の所得が子供の進学に影響して来ると言う物でした。要するに、親が金を持ってさえいれば、それだけ子供が良い大学へ行きやすくなると言う良く言われている事が反映しているイラストだと言う事です。
そこでは親が金を持っていれば、子供の徒競争におけるスタート地点はより前方に設定されると言う事のようですが、果たして決してそのように言って良いのでしょうか。別段それはトーナメントにおけるシード権のような物ではないのです。
ゴール地点が全ての人間にとって等しく設定されているのであれば、スタート地点が前に設定されている方が一方的に有利と言えるのですが、人間の人生の場合は、別段ゴールが等しく設定されているとは言えないのではないでしょうか。そもそもそれをゴールと言って良いのかと言う点でも問題です。結婚にしても、就職にしても、決してゴールなどではなく、一旦そこに至ったとしても、それは別のスタートが始まると言う事なのです。それらはゴールなどではなく、スタートだからこそ、その後になって、離婚したり、失業したりする人間が出て来るのではないでしょうか。
まあ、ここではそうした物をあえてゴールと言う前提で物を考えるにしても、スタートがより前方に設定されている人間だからと言って、万事が有利に働くとは言えません。追求するべき物が全く同じであればともかく、現実の社会では、万人が全く同じ物を追求するとは言えず、スタートがどんなに前方に設定されていたからと言って、ゴールが近いと言えるはずがなく、そもそも大抵の人間にとって、これがゴールだと言える物をはっきり見据えている事などないのではないでしょうか。
高卒たる自分だって、高校に入った時点で、ここで言う「ゴール」がどんな物かと言う事をはっきり見据えていた訳ではないし、大学へ進む人間だって、就活と言う概念が強くなっているこのごろと言う事を考えれば、彼らもまた同様にゴールと言う物を見据えて大学に入ったとは言えないでしょう。
それに対して「柔道部物語」の主人公の三五十五などはしっかりそうした物を見据えていたと言えるでしょう。彼は学力優秀であったのにもかかわらず、進学校を目指す事なく、それに比べればよりレベルが劣ると見られた岬商業へ入学したのです。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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