「利益認識の乖離」第275回目です。
「ミスタア・ロバーツ」における艦長が、はたからすれば二束三文でしかないやしの木を後生大事にすると言う話は、よそでも大いにあり得る事でしょう。出世志向の強い人間にしてみれば、仕事の成果に基づいて上司から何かを与えられたならば、そうした事に関して嬉々とすることは往々にしてある事であります。
まあ、そこにおいての出世と言う物に関して、当人が何のためにそれを追求するのかと言う事がまず問われる事でしょう。両さんならば、まずは自身にとっての経済的な利益ありきで物を考えるのであれば、出世によってより多くの給与や役得が得られる事をまず期待するでしょう。そうした人間にとっては、さしあたって与えられた物がよしんば二束三文だったとしても、そうした本来期待すべき物が後から付いてくるだろうと言う希望がある間は、そうした二束三文の代物でも大事にする事でしょう。ただ、あくまで、そうした肝心な物が得られる事が大前提ですから、そうした期待が失われたならば、その時になって二束三文の代物に対する関心も失われてしまう事でしょう。
まあ、出世志向の人間は万事がそうした人間ばかりではなく、それ自体が目的でもっぱら上司から良い評価を受けたと言う事に関してのみ嬉々とする人間もいる事でしょうから、そうした人間にとっては、二束三文の代物でも、そうした上司から良い評価を受けた事を意味するトロフィーとしての価値をそこに見出している事でしょう。
さて、上記における艦長が部下にとって好ましい存在であったならば、その時は往々にして、自身が上司から良い評価を受けた事に関して、部下に対して感謝している場合が多いでしょう。そして、それは部下のクルーたちにとっても自分らの働きがより上の存在から評価を受けたのだと意識して、艦長に対して与えられたやしの木は、自分らの良い働きに対する見返りとしての象徴として大事にされた事でしょうが、実際の艦長はクルーにとっては嫌な存在でして、そのためにそのやしの木もまたうざい存在となっていました。
もっともクルーたちからすれば、艦長は曲がりなりにも上司であり、そうした上司に対して公然と抗う事などままならずに無為に時が進んで行ったのですが、主人公たるロバーツが勇断をふるって艦長に対する抗議の一環としてやしの木を海に投じてしまいました。それが明らかになった事でクルーたちは歓喜したのでした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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