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竹島はわれらが領地なり

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絶倫ロボに見る男女の性差24

「絶倫ロボに見る男女の性差」第24回目です。
正室の実家は往々にして、高い身分の家と言う事が倣いはあったものの、そうした家が必ずしも身分通りに実力を有していたとは言えません。江戸時代の将軍の正室は宮家か公家からと言う事が決まっていましたが、それらは禁中並びに公家諸法度と言う法律の下に京都所司代によって統制されていた実力欠如の家だったのです。それだけに、そうした家からせっかく正室を迎えても、どの道将軍にとっては自らの選択でないと言う事もあってか、放置した所でも別段不都合な事態になる事はありませんでした。現に徳川家光などは、産まれた子供はもっぱら側室でした。
それに対して大名の場合は、より身分の高い家と言うのは、同時に実力の大きい家でもあると言う事が前提の元に正室が迎えられる物でしたから、前回取り上げた紀伊綱教のような気苦労を強いられるケースが少なくありませんでした。
その一例として、越前福井藩主であった松平光通は、正室が高田藩主松平光長の娘と言う事で、そうした苦労がありました。本来、光長は結城秀康の嫡流として福井(もともとは北の庄)藩主であるべきだったのですが、父親である忠直が改易されのが、後になって母親が徳川秀忠の娘と言う事で、特別に許されて、新たに高田に領地をもらっていました。
それに対して光通は忠直の弟である忠昌が、改易によって生じた「空地」に「引っ越してきた」、元来が分家の立場でしかなく、忠直の改易によって、忠直の直系に連なる家が再興しても、もはやヒエラルキーが存在している越前松平家の本家と言えるのかは怪しい状態にあるのにもかかわらず、実際、この時点で光通が47万石を領していたのに対して、光長は26万石でしかなかったのですが、それでも依然として光長に本家面されてしまっており、あまつさえ光長の母が将軍家を実家としている事から、自分の血統に連なる者こそが後継ぎになるべきだと圧力をかけて来ていたのでした。
果たして、光通は側室に男子を産ませていたのにもかかわらず、その息子たる権蔵(のちに松平直堅と名乗る)に跡を継がせることができずに、弟である松平昌親に跡目を継がせて、直堅は後になって幕府から賄い料1万俵の支給(3代目になって糸魚川1万石になる)を受ける事で諸侯として認められました。要するに、変則的な物でして、息子が小さい分家を立てさせられたと言う事なのです。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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