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解釈自体が公正ではないのではないか

【コラム】韓国社会は公正なのか(1)

「韓国社会は公正なのか」という問いが増えている。昨年末の法曹不正事件、そして今までの弾劾政局で明らかになった権力の乱用とそれによる私益追求の様子から出たものだ。そのためだろうか、代理満足を追及する現象が現れている。ドラマや映画で法と正義のストーリーがしばしば登場している。韓国ドラマ『町の弁護士チョ・ドゥルホ』、そして最近ではドラマ『被告人』と映画『再審』(原題)などがある。主な内容は正しくない世の中を断罪する司法システムも権力やお金の前にひざまずき、それに主人公が立ち向かって戦うというものだ。国民はこれを通じて一種のカタルシスを感じている。

公正という意味が何かに対しては見解が分かれるが、概して機会の均等と配分の均衡と言われる。しかし、どの程度が公正なのかはその基準が曖昧だ。既得権が持てる人と持てない人、中高年世代と青年世代、そして保守と進歩がそれぞれ異なる基準を有している。最低基準だけでも共有する必要があるが、今までは生計の問題に集中してきたので、残念ながらも公正という話題を全体構成員が共有した経験は多くない。見解の差は、概念を独占させる。すなわち、自身は公正だが他の人々は不公正だと考える現象だ。このような考えは社会的分裂や対立の原因になる。

植民の記憶を持つ国々は、不公正の問題を体験する場合が多い。支配勢力は、資源の収奪や植民統治のために自身らに同調する人々に富と権力を集中させる。そうすると、社会自らが健全な合意を経てバランスを取っていくシステムが形成されることができない。韓国の場合、光復(解放)を迎えたが、過去の不公正を是正する過程なく、直ちに独裁時代を経て再び権力に近い人々がより簡単に良い機会をつかんで富を蓄積することができた。経済成長の過程では競争が強調されてきたが、その競争が不公正に結びついた。結局、不公正な方法を取ってでも競争で勝てばそれで良い社会になってしまった。

公正の実践は多様な分野で行われている。性別、経済力などに関係なく、入試、雇用など社会的活動に対する機会の均等は公正な社会で最も重要な価値だ。哲学者のジョン・ロールズ氏は『正義論』で機会の均等について「同じ能力と意志を持ったとすれば、似たような社会的・経済的成果を得られるように機会を保障すること」と説明する。

機会の均等を追求するためには、手続きと基準が明確でなければならない。抽象的な基準と不透明な手続きはコネによる力の作用を許してしまう。そうするうちに、一時韓国社会では実力のある人より顔が広い有能な人が認められることもあった。機会の均等は公正な競争につながる。「平たい運動場」が与えられるべきだ。傾いた運動場でサッカー試合をすれば、公正な結果が出難い。


まずもって「植民の記憶」なんて事を主張する段階で問題ですな。韓国に当てはめるのならば、それは日帝支配の時代をさしている訳ですが、その論法だと、それ以前はどうなのだと言う事が言えるはずです。いや、それ以降の事に限っても、結局、その後に不公正な状態が起ころうとも、万事が日帝支配と言う植民のせいだと言い抜ける事ができるのではないでしょうか。
そもそもここで取り上げられていた独裁にしても、植民の経験がない社会においても、十分あり得る事です。公正、不公正と言うのは、必ずしも植民の有り無しとは関係ない物なのではないでしょうか。そんな事を言うようでは、韓国ではこの後も公正がうまく行くとは思えません。

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