ただ今3月は花粉症真っ盛りの時期につきまして、自分にも悪影響が出ております。事前にレーザーにおいて粘膜を焼き切っているとは言え、全く完璧に行うと鼻の役割を全否定に至ってしまう訳だし、あまつさえ角膜にレーザーと言う訳には行きませんかね。
さて、今回のエントリーは「史上最大の潜水艦隊・デーニッツ伝」22回目です。
真珠湾攻撃で、第1航空艦隊参謀長として参加した草鹿龍之介は、その作戦を剣になぞらえるのならば、一太刀で済ませる物と考え、帰還した航空機に燃料、爆弾を補充して、再度の出撃と言う事は考えていませんでした。
それに比べて、デーニッツの戦略は、一太刀どころか、素手でひたすら相手を殴り、倒れたら蹴っ飛ばして、したたかに口から血を吐いて絶命するまで続けると言う、対極をなす発想でした。
これに対して、戦車も空軍も攻めの兵器としては、一太刀で済ませる短期決戦を意図した物であって、ドイツの戦略や経済力からすれば筋の通った発想でした。となればデーニッツが異端視されるのもあながち異常な事ではありますまい。
そうなって来ると、この後のデーニッツの昇進がいかに皮肉に満ちた物かが分かるでしょう。グデーリアンもゲーリングも戦前レベルで昇進が早く、対仏戦勝利の後、それぞれ上級大将、帝国元帥に昇進しました。彼らの昇進は、元来の戦略の範疇で生じた物だった訳です。
元来対英戦争と言う物が考慮されていなかった事を考えれば、最初のもくろみ通りだったならば、デーニッツの昇進は高か知れていた物だったに違いありません。最初の年に少将に昇進できたのも、戦艦の撃沈がかなったからであって、それはデーニッツの戦略とは無関係な、乏しい戦力の時代の産物でも可能だったのでした。
彼の戦略は、始めから長期戦を前提としたので、潜水艦隊の活躍とドイツの大戦略とは両立しない物でした。それだけに彼の昇進はドイツの勝利が遠ざかる所にあったのでした。
1941年末、デーニッツは大将に昇進しましたが、この時、対米戦争が始まり、堂々とアメリカ商船を攻撃する事が可能になって、翌年には最大の戦果が得られるのですが、その事は同時にイギリス打倒のために撃沈しなくてはならないトン数がそれ以上に必要になる事を示していたのです。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済
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