プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

利益認識の乖離288

「利益認識の乖離」第288回目です。
去る1月に「高望みがひどいからだろう」と言うタイトルでエントリーした事がありました。
そこでは日本で仕事をした中国人が、日本人は単独で責任を負いたがらず、多くの人間に分散させる傾向が多いと言う点を指摘していました。それに関しては、タイトルにあるような解釈をした物です。ただでさえ限定されていて、かつ低く抑えられている傾向にある給与に比べて、どれだけ責任が課せられるか分かった物ではないとなれば、すなわち、課せられている責任が給与応分にとどまる事ができないと言う懸念があるのならば、どうして自身の責任を自覚して動く事ができるでしょうか。報酬不相応に無制限の責任を課せられるなんてとんでもないと言う風に考える人間が続出するのが自然な成り行きではないでしょうか。
にもかかわらず、責任を課す側の方の中には、あたかも責任を負う事が素晴らしいかのような感覚で物を考える傾向がある事があります。給与が低いままに、〇〇リーダーの様な、御大層な肩書をあてがうなんて話がどこかであった物です。結局それは経営側にしても、少なからず責任逃れをしようと言う意図があって、このような一見見栄えの良い物によって、体のいい責任転嫁をもくろもうとしているのです。
さて、責任逃れをしたくなるような環境の下では、一方では業績評価なんかも放棄してしまう事になるでしょう。しかし、そのような環境の下では案外業績評価なんて代物は嫌われ者状態になっているのではないでしょうか。
いくら出来が良ければ褒められるなんて建前があった所で、所詮は、そこに至る過程で高望みが強いられているとしたら、できて当たり前とみなされる物ですら、高望み状態にあり、良い評価に与ろうと言うのであれば、それ以上の物を目指さなくてはならないでしょうし、しかも、そのような物を嬉々として自主的に目指したがる物だと言う前提を押し付けられる事になってしまう物なのです。
それでも、良い結果として認められた場合、それ応分な報酬が出るのであれば良いのでしょうが、必ずしもそうでないとしたらいかがな物でしょうか。我が国にあっては、決してそのような懸念を抱くようなケースは珍しくないと思います。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 













スポンサーサイト

<< 他人に期待する言葉ではない | ホーム | 韓国が無能かつ有害な状態のままでいる事が悪い >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP