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竹島はわれらが領地なり

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絶倫ロボに見る男女の性差32

「絶倫ロボに見る男女の性差」第32回目です。
御三卿の創設は、必然的に代を重ねる事で、将軍家と御三家とのかい離が拡大していっている事にも一因がある訳ですが、甲府、舘林宰相家が御三家の様な恒久的な大名家足り得なかったように、もはや新たに大名家を新設する事はますます困難になっていると言う事にも注目すべきであります。
その結果、御三卿は便宜上1つの家として創設された物の、その中身は甲府、舘林宰相家以上に、将軍家の部屋住み的な要素を以て存在させられました。10万国の領地と言うのも、幕府直轄地の中に設置され、しかもその統治は幕府の代官によって従前どおり行われ、御三卿自身の家臣と言うのも、幕臣の出向によって従事していました。そして、それらの家の名前にしても、どの門に屋敷が設置されたかによって命名されていました。それは紛れもなく、江戸城と言う「屋敷」の中にある1つの部屋と言うのに値する、広い意味での部屋住みだったのです。
かように御三卿は、当主自体が部屋住み同然だったので、本来ならば、後継ぎとされるべき長男だろうと、事によったら当主ですらもどこかの親藩大名へ養子へ出て行くと言う事がありました。将軍家自体からの養子と言えば、家斉の頃に大々的に行われた物ですが、家重から家治の代の間に行われた養子縁組はこうした御三卿からの物がそれにとって代わっていました。
田安家からは、久松松平家の2家へ。ちなみにこの家は、家康の生母お大の再婚先で産まれた久松定勝を先祖とする物でして、その内の2家とは松山藩15万石と、白川藩11万石でした(3つ目として今治3万5000石がありました)。また一橋家からは福井藩へ2人養子が出ました。
所詮は御三卿は部屋住みのような家と言う事で、それ自体を存続させなくてはならない必然がなく、息子が余ったから、暫定的にそうした家が必要とされただけの事であって、どこかで養子が必要とされれば、御三卿の存続などは度外視した上で養子縁組がなされたのでした。その結果、田安家では2代目治察(はるあき)で血統が絶え、一橋家は2代目が四男である治済(はるさだ)となりました。
結果からすれば、一橋家の方がまだ余裕がありまして、田安家を維持するために、養子の供出と言う点では一橋家が優先的に応じるべきだったでしょうが、そのためには一橋家としてもこれを優先すべしと言う物があったのでした。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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