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絶倫ロボに見る男女の性差35

「絶倫ロボに見る男女の性差」第35回目です。
映画「十一人の侍」「十三人の刺客」と、いずれも、菅貫太郎が将軍家から養子として入って来た暴虐大名を演じていました。数多くある徳川家斉の息子の中には尾張藩や紀州藩の後継ぎになった者もいると言うのに、その2名たる松平斉厚、松平斉韶(なりつぐ)はそれぞれ舘林6万1000石、明石6万石と言う最低レベルの養子縁組でして、彼らならずとも不満囂々に充分なり得る条件だったと言えましょう。
厳密にはその下と言うのもありまして、津山藩が5万石で家斉の養子先としては一番知行が低かったところでありました。ただ、この津山藩は結城秀康の嫡流の家柄にあったのにもかかわらず、改易が連発して、津山藩として再三のスタートでした。その頃は10万石で、しかも後継ぎは将軍から偏諱に与れる家柄であったのが、(津山藩としての2代目たる)浅五郎の死後、末期養子をせざるを得ない事から一旦は改易かと思われたのが、5万石に減らされてかろうじて存続していました。ちなみに最初は末期養子は禁止されていて、改易の対象となっていたのですが、それだと改易になりやすい事から、家綱の頃から半知召し上げ程度で済ませる事になりました。
その結果、それ以降の藩主は偏諱に与る事なく、単なる小大名の1つとして低い家格に甘んじざるを得ず、それからの津山藩は10万石の禄高と旧来の家格への復活が宿願となっていました。
そうした津山藩との思惑と幕府との思惑が合致して、当時藩主であった松平康孝は実子がいるのにもかかわらず、家斉からの養子を受け入れて、5万石の加増と、親子で偏諱を受ける事となり、康孝自身は斉孝と改名しました。
さて、上記における松平斉厚、松平斉韶は史実においては別段暴虐大名ではなく、自身が将軍家からの養子と言う訳でもなく、養子を受け入れる側でありました。その中でも斉韶(元の名前は直韶)は実子がいるのにもかかわらず、家斉からの養子を受け入れる事で、こちらも親子で偏諱を受け、かつ、その養子たる斉宣(なりこと)が正式に藩主になると、2万石の加増がかないました。
一方の斉厚(元の名前は武厚)も家斉からの養子を受け入れて、親子で偏諱に与れたのですが、こちらの方は実子を差し置いてと言う事がなく、いずれにしても養子縁組が不可欠だったと言う不利な状態にあったのみならず、せっかく養子として受け入れた斉良も早死にで藩主に就任する事がなかったために、こちらの方は加増される事がなく、浜田への転封のみで知行アップがないままに幕末を迎えたのでした。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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