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絶倫ロボに見る男女の性差40

「絶倫ロボに見る男女の性差」第40回目です。
家継の代によって徳川家の本家の血統が絶えてしまった事で、その代わりとして御三家の1つである紀州藩から吉宗が新たに将軍として着任しました。これ以降、将軍家の血統は吉宗の血統が優先される事が自然の成り行きとなって行き、その過程で御三卿が出来上がりました。
一方、紀州藩の方は、吉宗が末子と言う事から、紀伊家自身もある意味本家断絶と言う事になって、分家たる西条藩が新たな藩主として松平頼致改め紀伊宗直が着任します。そしてそれは同時に、こちらの方では宗直の血統が優先視される事になって行きました。そしてそれは西条藩においても意識される事でした。もっとも最初の頃は宗直の後の西条藩は弟の頼渡が継いでいましたが、この血統は2代で絶えてしまったので、それ以降は宗直の血統によって継承されて行きました。
誰もが自分の後継ぎとしてできるだけ実子相続と言う物を望む物でして、それだけに、後になってべらぼうな子だくさんである家斉からの養子縁組と言う話に関しては幕府からの押し付けと言う風に見られる事となりました。尾張藩に比べれば、紀州藩の場合は、よしんば将軍家からの養子でも、藩祖の血統が続いているだけまだましなのでしょうが、既に述べたように、そのころの紀州藩としては宗直の血統優先と言う事を望んでいたのです。
それだけに治宝(はるとみ)としては、幕府からの養子縁組に対して非常に難色を示した物です。その養子縁組はいったん清水家の主となっていた斉順(なりゆき)が娘婿となる形で進められました。幕府としてはいったん養子縁組をした以上はすぐにでも家督委譲をしてもらいたかったのですが、治宝としては非常に嫌がった養子縁組でしたから、それに関してはできるだけ先送りにしたい所でして、せめて娘が後継ぎを産んでくれればと言う事を望んだのでしたが、肝心の娘が、自分にとっての孫を産んでくれることなく死亡してしまったために、自分の血統を維持する事がかなわなくなってしまい、その結果、既に家督自体は斉順に移っていたのですが、彼の意識においては、死んでも家督は譲らないと言うような意固地な状態に突き進んで行きました。
もっとも家督自体は譲っていた物の、藩政の実権は依然治宝が維持しており、こうなったら西条藩から後継ぎを迎えようと画策した物の、斉順の後継ぎはまたもや幕府からのごり押しが行われ、果たして、治宝の紀州藩における実権は死ぬまで維持されたのでした。裏を返せば、実子相続がかなえば、嬉々として実権を放棄して楽隠居に甘んじた事でしょう。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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