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中国から引き離す事は構わないのか

残留孤児を育てた中国養母の思い、「もう一度日本の娘に会いたい、次が最後になるかもしれない」―中国メディア

2016年10月2日、東京と中国黒竜江省ハルビン市で、中国残留孤児に関するフォーラムが開かれた。李淑蘭(リー・シュウラン)さんは90歳を超える高齢でありながらフォーラムに参加し、日本のいる養女に宛てたメッセージを関連団体に託した。中国新聞網が伝えた。

第2次世界大戦終結後、4000人余りの日本の児童が中国人に引き取られた。池辺順子さんもその1人で、彼女の実の母親に懇願されやせ細った姿をふびんに思い、当時20歳だった李淑蘭さんは彼女を引き取った。李さんは自身の子どもが生まれてからも池辺さんをかわいがり、池辺さんはその後中国で結婚し家庭を築いた。子宝に恵まれた池辺さんだったが、1981年に日本人残留孤児として5人の子どもを連れ日本に渡った。

李さんは当時のことについて、「恐怖の色を隠せなかった5歳の女の子を私は見捨てることはできなかった。41歳まで中国で生活し、実の母親には会いたくないと話していたが、強がりであることは分かっていた。彼女は小さいころから自分の出生について知っていた。とても聞き分けの良い子だった。(日本に渡ることを)喜ぶ彼女を見て、私はさまざまな感情を抱いた」と語っている。

池辺さんが日本に渡った後も李さんとの連絡は途絶えることがなく、これまでに2度中国に赴き李さんに会いに行った。ところが、数年前に池辺さんが体を壊したことに加え家が引っ越しために一度連絡が途絶えてしまった。李さんは池辺さんを心配し、家族の反対を押し切り2015年に日本に渡り池辺さんを探し、現地の民間団体の協力もあり病床の娘、池辺さんと再会した。

残留孤児と中国の養父母の間には愛があふれている。だが、時間の経過とともにこの世を去る人が相次いでいる。現在日本残留孤児を養育した中国人はハルビンで李さん1人となった。李さんは現在息子の家で静かに暮らしているが、「日本にいる娘に一目会いたい。私も娘ももう若くない。まだ動けるうちにもう一度会いたい。もしかしたら次の再会が最後の再会になるかもしれない」と心境を語っている。(翻訳・編集/内山)


この記事に関しては日本最大規模の中国残留孤児代表団が訪中、養父母との絆確かめる「感謝の旅」に―中国メディア">日本最大規模の中国残留孤児代表団が訪中、養父母との絆確かめる「感謝の旅」に―中国メディアの下の部分にあった関連記事の中にあった、昨年の記事であります。
本記事にあるような養母の思いは自然に生じる物です。だからこそ、残留孤児などと言う概念に違和感がぬぐえないのです。単に中国人によって育てられた子供と言う事で良いではないでしょうか。養い親にしても、我が子と別れがたしと言う風に思う以上、残留孤児などと言う事で、そうした親子の関係を断ち切る事になってしまうのです。そのままにしておいても良かったのではないでしょうか。
しかし、現実にはそうした親子関係を維持するためにセットで日本に押しやると言うケースもあり得るでしょう。どうして久しく住んでいた中国から引き離すような形で決着を付けたがる人間が日本にも中国にもいるのでしょうか。彼らは別段不法滞在者と言う訳ではないのです。
そんなのを日中友好の懸け橋と言ってもひたすら胡散臭く思えるだけで、そもそも中国にとどまっている状態でも同様な事が期待できるのではないてしょうか。

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