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絶倫ロボに見る男女の性差41

「絶倫ロボに見る男女の性差」41回目です。
前回取り上げた紀州藩は幕府からの押し付け養子に出くわした事で業腹状態であったものの、それでも尾張藩よりはまだましだったと言えましょう。紀州藩はそれがよしんば将軍家からの押し付けだったとしても、曲がりなりにも藩祖頼宣の血統は有効だったのでした。それに引き換え、尾張藩では藩祖義直の血統は絶えてしまっていたのです。
九代目である宗睦(むねちか)の後から4代続いて、将軍家ないし御三卿からと言う、幕府からの押し付け養子が続いたその次になってようやく尾張藩独自の分家たる高須藩からの養子がかなって、藩士領民こぞって歓迎の状態でありましたが、その尾張慶勝の3代前には既に高須藩でも義直の血統は絶えていて、一橋家から養子を迎え、その次は水戸家からの養子でして、慶勝はその孫と言う事でありました。
徳川家斉はその半端なきスケベぶりによって上は尾張藩や御三卿から、はたまた小藩にまで後継ぎを送り込んだ物でしたが、ある意味そのスケベが報われる事はなかったと言えましょう。単に行為のみが問われるのであれば、大いに楽しんだと言う事が言えるのでしょうが、避妊と言う概念がない環境で、ひたすら子供を創出した以上は、それだけ自分の子孫を後世に残す可能性が高くあってしかるべきだったのでしょうが、自分自身がどんなに長生きで、かつオットセイのような存在足り得ても、子孫までもが同様であるとは限らない物でして、そのほとんどが養子に出しても、家督を継がないまま、世子の状態のままで死亡したり、家督を継いでも早死にで、別途養子を迎える必要に迫られたりと、結局家斉の血統を残すと言う点ではおよそ無駄なスケベだったと言えましょう。
唯一の例外と言えたのが、津山藩でして、ここに養子に出された斉民だけが現在に至るまで家斉の男系子孫を残したのでした。
さて、高須藩を通して尾張家へ後継ぎを送り込むことができた水戸家は御三家の末席にある事から、将軍家の後継ぎ候補としては最も優先順位が低く、本家の血統を将軍家に提供して、水戸家自体は分家が引き継ぐと言うような、紀州藩のようななく、ひたすら藩祖頼房の血統を維持する事に成功していました。
もっとも、二代目の光圀が兄を差し置いて本家を相続した事で、次の代は兄たる松平頼重によって始まった分家たる高松藩からの養子に継がせると言う事態にはなった物の、そこには分家の血統に本家をゆだねると言うような発想はなく、ひたすら頼房の血統さえ維持できればと言う思いがあったのに過ぎないと言う事が言えるのではないでしょうか。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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コメント

まあね、その頃もまだ出生率以上に幼児死亡率がたかったわけで、産めよ育てよ一家安泰を、でしたね。
その一家内でも、家督相続が競争社会で、心の休まることはなかったでしょうね。藩の家臣一同やら藩民の顔がちらつけば、落ち着いて美女といちゃついて楽しいばかりではなかったと思います。
けっこう、殿様に変質的な人がいたりするのもわかります。
もちろん、これは西欧の王室も同じで、ポンパドール夫人って何者かなあと思っていたら、高級愛人みたいな女性で、どこも同じだったんじゃん。
って感じですね。

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