FC2ブログ

プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

絶倫ロボに見る男女の性差43

「絶倫ロボに見る男女の性差」第43回目です。
尾張藩の血統はまず分家たる高須藩から絶えてしまっていました。そのために最初に入って来た養子は一橋家からでして、治済の数ある息子の中の1人でした。うまく行けばこちらの方から、治済-家斉の血統の尾張家への浸食が可能でしたが、実際は将軍家ないし御三卿からの直接養子によってそれがなってしまって、高須藩からの浸食は必要なくなったのみならず、こちらの血統は一代限りで、その次の養子が水戸家からやってきました。
前にも取り上げたように、五代ぶりに将軍家からの押し付け養子から解放された形での家督継承となった尾張慶勝はその孫と言う事になります。そしてその弟たちもいろんな所へ養子へと出向いて、高須藩経由での水戸家の血が広がって行く事となりました。
慶勝の次弟となる武成は家宣の弟である松平清武を祖とする越智松平家の浜田藩へと養子へ出て行きました。この越智松平家は前にも取り上げた、松平斉厚も含まれている家であります。この家は養子の後継ぎが多く、その中でも斉厚は自身も父もこの家の生まれと言う、最もましな状態にあったと言えましょう。祖父は水戸家の分家たる府中藩からの養子で入ってきていて、その後二代続いて実子相続となった所で、斉厚の後継ぎの段階で養子が必要になり、最初は家斉からの養子だった所、その養子が早死にだったため、別途養子として、高松藩から受け入れて、その後継ぎが武成でした。
そして武成自身も後継ぎを養子に求める事となり、今度は水戸家からの養子と言う事になりました。果たして、それは水戸一族からの養子のリレーでつないで行ったと言う事なのでした。
さて、家光の異母弟たる保科正之を祖とする会津松平家はほとんど自前の血統で続いていたのでしたが、幕末に至って入り婿によって後を継がせる事態になりましたが、その婿が、高須藩から入った容保(かたもり)でした。容保自身はいったんは後継ぎとして水戸家からの養子として松平昭則改め喜徳(のぶのり)を受け入れたのでしたが、会津戦争によって藩は改易となって、斗南3万石で再建を許された時には実子である容大(かたはる)でした。
要するにいずれにしても、水戸家の血統がこの家でも続いたのみならず、ここから後に徳川本家の主が出たのでした。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム



韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 


人気サイトランキングへ









スポンサーサイト



<< 当然な判決だ | ホーム | 失うのも、これから目指すのもずっと10年 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP