FC2ブログ

プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

役職・身分のかけ持ちと転籍③

「役職・身分のかけ持ちと転籍」の第3回目です。
軍人が総理大臣などの各大臣に就任するケースは戦前には多々ありましたが、それは軍人でも文官になれると言う事を意味していました。そして陸海軍の大臣も大臣の端くれとして、それもまた文官の範疇に入っていました。ただしそれは臣民に限った話でして、宮様の場合は、軍人だからと言って大臣と言う文官になれると言う事はありませんでした。まあ、それは後方に基づく事と言うよりは、後続の中での内々での自主的な決まりなのでしょうが、実際、軍隊内での中央での顕職と言える参謀総長や軍令部総長への就任はあった物の、陸海軍の大臣への皇族軍人の就任は少なくとも、玉音放送以前はありませんでした。終戦直後の敗戦処理内閣として陸軍大将であった東久邇宮稔彦王が総理大臣と陸軍大臣をごく短期間勤めた事が例外として存在するのみでした。
武官とは本来、軍人で゛さえあればそれで武官と言え、役職によって地位が決まる文官と違って、階級によって地位が決まっていました。軍人の場合、同じ役職にあっても、必ずしも同じ階級であるとは限らず、階級が異なればそれで給与も違ってくるのです。
ここであえて武官とは軍隊内での役職だと定義してみた場合、これは武官、これは文官と言う色分けが必要となって来ます。とりわけ宮様の場合は、それによってなれる役職が決まって来るからです。その場合、注目する肩書として総督があります。現代にあって、植民地統治の長官の事をそのように言う傾向が多く、外国での同様の権限を持った役職がそのように翻訳されていますが、我が国においては元来そのような意味を持って存在していませんでした。
まず幕末には御所警護の役職として禁裏御守衛総督と言うのがありました。それは朝廷内での役職でありましたが、れっきとした武官の範疇に入っていた事から一橋慶喜が任命されました。この役職は慶喜の将軍就任とともに自然消滅して行き、明治維新以降、近衛都督として復活しました。
戊辰戦争においては新政府側が東日本に残存する佐幕派の勢力を攻撃するために総司令官として有栖川宮熾仁親王が東討大総督に任命されていました。この頃は新体制がまだ未整備の状態だったために、新政府の総裁と言う文官でもありましたが、当然、後にはこうした事は新体制が整備されていく過程で次第に臣民任せとなって行きました。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^


クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 














スポンサーサイト



<< 自分の無体は棚上げにしておいてひたすら他人にばかりか望みをするな | ホーム | 朝鮮戦争映画で「トコリの橋」はあったけど >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP