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役職・身分のかけ持ちと転籍⑨

「役職・身分のかけ持ちと転籍」の第9回目です。
日露戦争で獲得した、関東州並びに長春までの満鉄付属地の統治と防備のために関東総督が任命されましたが、樺太なんかもロシアと直接接する場所だったのですが、満州の方がロシアの勢力が強かったと言う事なのですな。朝鮮にしても、北東部がロシアと直接接しているはずでして、後には極東ソ連軍なんかでも、そうした沿海州南部の防備を重視していて、第二次世界大戦末期に満州に侵攻したソ連軍の中でも最も多くの兵力が出撃した所でありますが、日露戦争当時としては沿海州の兵力も大してことがなく、朝鮮には常備の師団が送り込まれる事がなく、後備役の部隊だけでも事足りたようです。
長くなりましたが、当時としてはよその地よりも満州のロシア軍の方が脅威と見られていたようでして、そのためにある種の臨戦態勢が必要とされていたように見受けます。そうした思惑からか、この地の統治は軍政であるべきだとして、関東総督に対する権限を強くしていました。つまりそれは武官だと言っても良いのでしょう。
ただ、市場の門戸開放を欲する英米の側からブーイングが生じ、早くも翌年明治39年にはその権限を縮小した関東都督へと変更される事となりました。その時には、台湾総督府には初めから存在していた民政長官が任命される事となりました。既に述べたように、その段階においても、依然として都督には関東軍司令官としての権限が存在していたために、軍人しか任命できなかった訳ですが、この段階においてその役職は武官から文官へと変更されたと言っても良いでしょう。
しかし、それすらも長い事ではなく、最後まで残った制度ではなく、大正8年には関東都督の権限は関東軍司令官と関東長官へと分離してしまいました。つまりそこでは台湾のように、統治の長官として旧来の名称が維持される事はなかったのです。
台湾総督は親任官であり続けたのですが、関東長官は勅任官でした。それ以前の関東都督の方は、関東総督からの留任で大将たる大島義昌が初代だったために、それに合わせて親任官で、少なくとも宮中席次においては11番目であった事でしょうが、名称が都督のままではなく長官になった事でその地位は低下してしまったと言う事が言えます。そこでは軍人の方が地位が高いと言う事になります。関東都督が廃止になって、分離して新設された関東軍司令官は親補職ですから、単なる勅任官よりは地位が高いのです。改めて関東長官よりは高い地位だと言う事です。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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