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役職・身分のかけ持ちと転籍⑱

「役職・身分の掛け持ちと転籍」第18回目です。
明治維新直後の段階にあっては軍政と軍令も陸軍と海軍と言う概念も未分離の状態から始まりました。初期は軍事の万事は兵務省の元で一元化されていましたが、それが陸軍省と海軍省へと分離して行きました。
前回は帝国海軍の規模のしょぼさと言う物を指摘した物ですが、関ケ原合戦と戊辰戦争とを比較すれば陸海軍全体がしょぼいと言える状態でして、前回も指摘したように陸軍だって西南戦争時点では陸軍ですら大将は西郷隆盛だけと言う状態でした。近代軍としての階級制度が制定された直後は中将が最高階級でして、明治6年になって大将が制定され、西郷隆盛が任命されました。
海軍の方は日清戦争の頃まで大将が存在せず、しばらくは制度としてはあっても、規模のしょぼさから事実上中将を最高階級として存在していて、その最初として榎本武揚が任命されました。そしてそれに続いて川村純義が任命されて、この川村の元で西南戦争が起こりました。
後の海軍大将たる西郷従道や樺山資紀も陸軍軍人の状態で西南戦争に従軍していた訳でして、それに比べれば榎本や川村の場合ははなから海軍だと言う事が言える訳ですが、広い意味では彼らとても、転籍だと言う事が言えるでしょう。初期の人間は万事武家社会の武士が近代社会の文官や軍人へ転籍したと言えるのではないでしょうか。
さて、そうした武士からの転身と言う事は別としても、彼らはなからの海軍軍人はある意味不遇だったと言えるでしょう。榎本や川村と言った彼らこそ、はなから海軍にいた以上は、彼らこそより初めに海軍大将になるべきだと思えるのですが、既に述べたように最初に海軍大将になったのは西郷従道、樺山資紀でして、榎本の場合は大将に昇進する事なく、生涯を終えたし、川村にしても、榎本同様早々海軍から放逐されて、日露戦争中にようやく死後昇進と言う形で海軍大将になったのでした。
さて、後の時代には海軍省には海軍軍人が任命されると言うのが当然となりましたが、初期の段階にあっては海軍軍人が不足して、陸軍からの転籍と言う事があったように、そうした海軍の役職が陸軍軍人によって担われると言う事がありました。ごく初期には海軍大臣は海軍卿と呼ばれ、次官は海軍大輔と呼ばれていましたが、その海軍大輔にはまだ陸軍軍人であった樺山が就き、海軍卿が海軍大臣と改称された直後には西郷が就きました。こうした事が縁となって、両名は海軍への転籍となったのです。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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